ェらその一方では日本の常識の中での両性生活のやりかたについて絶望していたような気持も、段々社会の変化と一致して変化する可能のあるものとして希望の方に向けられた。
 ゴーリキイやアンナ・シーモヴァの人間らしさに、完全な性が保たれ、咲き揃っている。そのことを伸子が、美しいと感じうらやましいと感じるのは、人間達成の可能のゆたかさへの共感であり、すすみゆく社会の本質が個々の男や女に与える可能性の意味ふかい承認だった。
 おとといの晩、伸子たちはレーニングラードの一つの横通りにある外務省の留学生沖のアパートメントに招かれた。そこには、沖の一時的な愛人である蒙古の眉、蒙古の口元、蒙古の濃い黒髪をもったヨーコという女医がいた。ほかに七人ばかりの外務省の留学生たちがいた。重く太い編み下げを蒙古服の背にたらして、おとなしく台所の間を往復するヨーコの姉という、原始的な皮膚をした女のひとがいた。だらだらとつづいた食事やいくらか葡萄酒によった会話の、どこに本ものの愉快さがあったろう。みんなが自分を馬鹿者でないと思っていて、日本の官僚主義や退屈な社交生活を軽蔑して話しながら、自分たちのその話しぶりそのものが無気力であり退屈であることを知らない若い男たちに、伸子が、どんな男の魅惑を感じたというのだろう。土台、そういうきっかけから出ている話ではなかった。
 伸子は、しばらくして、窓の方を向いたまま、テーブルのところにいる素子に云った。
「あなたは、自分のそういうものの感じかたをあんまり自認しすぎているわよ」
「…………」
「ぶこは、ひとりよがりで、自分は真実だから、おこりもすると思っているとしたら、違うことよ。ソヴェトへ来てまで、そんな何だか女同士の痴話喧嘩みたいなこと――わたしほんとに御免だから……」
「――えらそうに、なにを生意気云ってるんだ。――ぶこはいつだってそうだ。自分の都合のいいように理窟をつける――卑劣さ」
「そうは思わない。だって、あんたがああいう風にからん[#「からん」に傍点]じまうとき、わたしは、どうしたらいいの?――どうしたら、あなた、気がすむ?」
 段々落ちついてものが云えるようになって、伸子は窓を向いていた体を素子の方へ向け直した。
「駒沢のころ、そういうとき、わたしはこわくなって泣いたり、真実を証明したりしました。やっぱり、いまもわたしがそうすればあなたの気がやすまる?」
 だまっている素子のまわりを伸子はゆっくり歩いて、背の高い煖炉棚へ部屋靴のつまさきをそろえてもたれかかった。
「――わたしは、もうそうしなくてよ。お互のために――わたしたち、折角いつもは病的なところなんかなくて暮しているのに、こんな時っていうと、まるで突発的に妙になるんだもの――これこそ病的だとしか思えない。わたし苦しくなるし、自分たちが恥しい……」
 ちょっと言葉を切って、伸子は羞恥のあらわれた、うす赧い顔で早口に云った。
「わたしたち性的異常者じゃないんだもの。――人間の親密さのいろんなニュアンスを肯定しているだけなんだもの」
 素子の眼から暗い脅《おど》かしと毒々しい光沢が次第に去った。
「そんなことはわかってるさ」
「変じゃないの、じゃどうして、あんなに、何とも云えないぐらん[#「ぐらん」に傍点]とした居直りかたになるんだろう。自分でわかる? どんなに――」
 醜い、という言葉を云いかねて伸子は、
「普通でないか……」
と云った。
「そりゃ普通じゃなかろうさ、わたしは自分を一遍だって普通だなんて云ったことはありませんよ」
「…………」
 素子の、京都風な受口の小麦肌色の顔や、そこから伸子を見ている黒い二つの棗《なつめ》形の眼、くつろいだ部屋着の胸元をゆたかにもり上らせている伸子より遙に成熟した女の胸つきなどを眺めていて、伸子は不思議にたえない心持になった。素子の生理になに一つ女でないことはない。それだのに、素子はどうしてこうまで自分の性をそのままにうけいれようとしないのだろう。伸子より三つ年上の素子が、女学校の上級生ごろから、らいてうとか紅吉とかいう青鞜婦人たちの女性解放の気運に影響されていたというだけでは、伸子に諒解しつくされなかった。素子の家庭で、父と母と母の妹との間に乱れた関係があって、素子の実母への愛と正義感が男への軽蔑や反撥になったとしても、やっぱり伸子にはわかりきらないものがあった。
「あなたってまったく不思議ねえ」
 その声のなかから腹立たしさも軽蔑も今はすっかり消えた調子で、伸子がまじまじと素子を見た。
「あなたの生活に、これまで具体的に男のひとが入って来たことってなかったんでしょう」
「そりゃないさ」
「そういう意味からだけ云えば、あなたは、わたしより純潔と云えるわけなのに――あなたは、わたしより純潔じゃないわ」
 素子はすこし顔を赧
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