qたちは、セイヌの河岸むこうへかえるのだったが、気のむくままに歩いてゆく夕方の街で、二人はよく一日の仕事がえりの娘たちに会った。裁縫店だの、帽子店だの仕事場からはき出されて来る娘たちは、偶然ゆき合った伸子たちに専門家らしいすばやい目をくれながら、すぐ無頓着にかえって陽気に喋って通りすがるのだった。とある横通りではじめてこういう娘たちの群にゆき合ったとき、伸子は深く心に刻まれるものを見た。それは、パリのお針娘たちは、仕事日には、黒い、絹ではない紡績の靴下をはいてつとめに出るということだった。云いあわせたように黒い紡績の靴下をはき、黒い服を着た若い彼女たちは、一重むこうの通りでは貴婦人めかした娼婦が綺羅をつくしてねり歩いているブル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ールの夕暮の裏通りを、さっさと粋に、しかも道草をくわない足どりで通って行くのだった。
 パリではブル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ールの大きい百貨店《マガザン》の売子たちもいちように、気の利いた白の小さいカラーとカフスつきの黒いなりだった。リュクサンブールやモンソー公園で、内気さとわがままさのまざりあったような顔つきの身なりのいい男の児や女の児を犬やマリで遊ばせているのも、白いカラーに黒い服の女たちだった。大百貨店の婦人靴の売場や、グラン・ブル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ールの有名な婦人靴店の内で、こみ合って亢奮し、よりよいサーヴィスを嫉妬ぶかく求めている一人一人の婦人客の足もとにひざまずいて世話をしているのも白いカラーに黒服しなやかな娘たちだった。次から次と試みの新しい靴をはかせ、それをぬがせ、思いつきの註文にしたがって棚から別の靴の箱を腕いっぱい運んで来る。彼女たちの黒い服につつまれた若い体は贅沢なカーペットの上で、労働時間じゅううむことのないそのしなやかさ、敏捷さを使役されるのだった。婦人靴を買うためにこみあっている老若の婦人客と背中をいためつけている若い売子たちとの対照的な光景は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の売りこに馴れている伸子をおどろかせた。伸子が、ついそのとき自分の靴を買いそびれたほど買いての横暴な風俗だった。
 パリジェンヌは、いつも黒を上手につかうことを知っている、とそれが日本の花柳的な粋に通じるパリ女の粋な趣味のように語られるのを伸子はきいたりよんだりして来た。だけれどパリには、パリの男の鳥打帽と同じ意味の女の黒い服もある。――彼らが利子生活者ではなくて、日々の労働で生きているものであることを示す男女の身なりとして。
 一九二九年の三月から以後フランスでは生計費があがって、物価のやすい、暮しいいパリでなくなった。
「肉類や玉子、バタのようなもの、お豆やじゃがいもなんかが随分、ここのところであがりましたわ、ね」
 磯崎須美子が、若い良人に賛成を求めるように、おだやかないつもの云いかたで云うのだった。
「わたしたちには不思議に思えますけれど――小麦なんか、かえってことしはやすくなっているっていうんですのにパンもあがって――。ここでとれるものの方が高くなりましたのよ」
「われわれみたいな、貧乏画描きにはどうして、こたえますよ。家族というものがありますしね」
 恭介たちはこんどの子供が生れたについては、四つになる上の子を、デュトの家のマダムの世話でフォンテンブローの近所の田舎家にあずけているのだった。須美子の、日本人ばなれのした輪廓の端正な若い顔の上を無言の苦しげなかげがすぎた。
「――でもこの節は、どこもですわ。マダムでさえこぼしますもの」
 恭介たちの家の主婦は親切な寡婦で、二人の息子は郊外の工場へつとめているのだった。
 数年このかたフランスはアメリカについで、ヨーロッパでは金保有量の最も多い国として、景気が安定し、ドイツのような失業はないし、ストライキもなかったのだそうだった。いまでも労働力は不足していて、ポーランドやベルギーから労働者をよんで来ているぐらいだけれども、労働賃銀が、暮しよいパリ[#「暮しよいパリ」に傍点]時代のままだから、物価が世界のよその国なみにあがって来てしまうと、パリの市民の大部分は、ますます肉類ぬきの食物で生きてゆかなければならなくなって来ているのだった。
「ここでも、このごろは労働者の男や女が、賃銀値上げの要求を書いた札を立てて示威行進《デモンストラシオン》するようになりましたよ」
「そうお?」
 伸子は、自分たちをあやしむように、
「どうしてだか、わたしたち、まだいっぺんもそういうデモンストラシオンに出会ったことがなくてよ」
と云った。
「そりゃそうでしょう」
 おかしそうに恭介が笑った。
「労働者たちのデモンストラシオンは、滅多にブル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ールなんかま
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