トいた。素子と伸子とが同時にそこで動くということは不可能なほどせまくるしかった。
同じクワルティーラの中で、こんど素子が移った部屋は、ほんものの一室だった。アストージェンカの広場に向ってたっぷり開いた二つの窓をもち、清潔に磨かれている床に二つの単純なベッド、一つの衣裳箪笥、素子用のデスクと本箱、食事用の小テーブル一つが、おかれている。
ステーションで、迎えに来ていた素子と抱きあって、伸子が、
「どうしていた?」
ときいたとき、素子は、
「――まあ、かえって御覧」
と云った。
「こんどは、いい部屋だよ、ひろいよ」
ルケアーノフの上の娘に許婚者ができて、彼女たちだけの室がいるようになった。そこでこれまで二人の娘がいたひろい方へ素子がうつり、ヴェーラがうなぎの寝床[#「うなぎの寝床」に傍点]へはいることになったのだそうだった。
「うちの連中にとっちゃ、一挙両得さ。なにしろこんどは、室代が倍だもの」
素子はカンガルーの毛皮をつけた新調の外套を着てきていた。めずらしい毛皮の柔かくくすんだ色が、十二月のモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の外気の刺戟で活気づけられている素子の顔の小麦肌色と、似合った。
伸子は、国境駅の白樺板の上にまで進出している「五ヵ年計画《ピャチレートカ》」をすぎてゆく街々の角に発見しようとするようにタクシーの窓から目をはなさないのだった。素子がひろい室に移っている、そのことに自分のいる場所の安定も約束されている。それ以上をもとめないこころもちで、伸子は、アストージェンカの、板囲いをはいって行き、太った住宅管理人が、山羊外套の肩にトランクをかついで運び終るのを待って、ルケアーノフのクワルティーラへのぼって行った。ところどころささくれているようなむき出しのセメント階段のふみ心地。あたためられている建物の内部に、かすかに乾いたセメントのにおいがただよっている。これがモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の新しい足ざわりであり匂いだった。
ルケアーノフのところでは食堂の両開きのドアも台所のドアもしまっていて、食堂の隣りの素子の部屋があいている。何の予想もなしにその入口に立って室内をぐるりと見た伸子は、
「あら」
信じかねるように、一つの窓の下へ目をとめた。
「わたしの場所?」
外套を着たまま、大股に右手の窓べりによって行った。広場に面した二つの窓の、左側が素子の勉強場になっていた。デスクの上に、ウラル石の灰皿やよみかけの本、新聞がちらばっている。もう一つの窓との間を仕切って、八分どおり詰った本棚が立てられていて、そのかげに、もう一くみデスクと椅子がおかれているのだった。
デスクの上には何もなく、がらんとしている。しかし、緑色の平ったい円形のシェードのついたスタンドが、いつからでもつかえるようにして置いてある。
「――すごいわねえ、わたしの場所[#「わたしの場所」に傍点]があるなんて……」
「――ぶこ[#「ぶこ」に傍点]が、ひっかかっていつまでも帰らないもんだから、一ヵ月無駄に払っちまったじゃないか」
とがめる云いかたのなかに、伸子がもうそこに帰って来ているという安心がひびいた。
「なにを、ぐずついていたのさ」
「なにって――」
直接素子のその質問には答えないで外套を壁にかけている伸子。見なれた部屋着にくつろいだ伸子。顔を洗って来て、ルケアーノフの細君が用意しておいてくれたジャム入りの|油あげパン《ピロシュキ》をおいしがって、茶をのみはじめている伸子。伸子のそのこだわりのない食慾や、もうどこへ行こうとも思っていない人間の無雑作さで寝台の上にとりちらされているパリ好みのネッカチーフやハンド・バッグなどは、その部屋に自分以外の者が住みはじめた目新しさと同時に、やっと永年なじんで来た生活がそっくりそこに戻った感じを素子に与えているのだった。伸子は、自分の動きを追う素子の一つ一つのまなざしからそれを感じた。そして、伸子自身も、アストージェンカへ帰って来て、もうどこへ行こうとも思っていない自分を感じるのだったが、素子の視線には、何か伸子の意識の陰翳にあるものをとらえようとしているようなところがある。伸子の、何かに向って、配られている詮索がある。
ひと休みしてからの伸子は荷物の整理にとりかかった。画集のトランクは、ちょくちょくあけて見られるようにドアの左手の壁際へ、いくらもない着換え類は、素子とおもやいに衣裳箪笥にかけた。そして、空になったスーツ・ケースを自分の寝台の下へ押し込んでいると、横がけにかけている椅子の背に両腕をおき、その上へ顎をのっけた姿勢で伸子のすることを見守っていた素子が、
「見なれない鞄があるじゃないか」
ふりかえった伸子に、茶色の中型鞄を目でさした。それは伸子が荷物をしまいきれな
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