ナ論じなければならないのか、と。藤原自身、日本の天皇はツァーと等しい悪い存在だと認めているのだろうか、と。
 藤原威夫は、冷静に伸子の云いかたを計ってきいていたが、やがて、あなたが社会についてどう考えられるのも自由だが、天皇の問題だけは慎重に扱われたがいいですよ、と云った。そして、改正される治安維持法では、第一条に国体の変革ということをおいて、きわめて重刑である、と告げたのだった。
 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で生活しはじめてから十五ヵ月たつうちに、おのずから会得されて来ているソヴェト社会の常識から、伸子は藤原威夫の訪問を、迷惑に思った。多計代が、わざわざたのんで、藤原威夫に自分を見舞わせたりする、その心配[#「心配」に傍点]を迷惑に思った。そして、彼が忙しいと見えて、病院へ一度来たきりであったことを、――下宿へ訪ねて来たりしなかったのは、たすかったと思ったのだった。
 藤原威夫がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ赴任して来たのは、東支鉄道の問題で、中国の蒋介石政府とソヴェト同盟との間に紛争がきざしはじめた折からだった。佐々の一行がパリでペレールに住んでいたこの夏に、ソヴェト同盟と中国とは国交断絶した。東支鉄道問題で蒋介石政府を支援して、ソヴェト同盟との紛糾を長びかせているのは、中国のそとの帝国主義の国々であることは、パリにいてモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の外からそのいきさつを見ている伸子に、はっきりわかった。パリに「プラウダ」はなくても、事実は「リュマニテ」が語った。
 多計代が、シベリア鉄道へのりつぐためにモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で過す十二時間を、藤原威夫のところで過した、ということは伸子の予想さえできなかったことだった。パリの生活で、伸子は、藤原威夫の存在をほとんど忘れていた。けれども、多計代は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]、そこに藤原威夫がいる、と、その一つに焦点を合わせたようにして、彼と連絡したのだ。
 伸子には母のやりかたがおそろしかった。多計代は、いつの間にモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の藤原威夫とそんなうちあわせをしていたのだろう。シベリア鉄道で帰るときめてから、多計代は、伸子に一緒に帰ろうとすすめなくなった。いろいろの手伝いはさせながら。伸子と自分たちとは、わけるように、わけるようにした。伸子はそれを不思議に思いながら、結局自分がひとりでモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ帰ろうと思っている計画がたやすくなったとしか、考えなかった。けれども、多計代は伸子をパリにおいておいてモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の藤原威夫に会う計画だったのだ。それは何のためだろう――。
 明るい昼の雨にぬれて赤銅色にそまっている秋の梢を眺めながら、伸子は、指先のつめたくなるような思いに考えしずむのだった。自分がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でもパリでも、どんな政治的な団体にも連関をもっていないことは、何とよかったろう。さもなければ、パリで毎日数時間ずつ伸子と一緒に暮していた母親が、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ着くなり、日本の諜報者としての任務を帯びて駐在している藤原威夫のところへ自分だけ行って、午後じゅうそこに留まっていたなどということは、第三者として伸子がきいても単純に解決されにくい、おかしな動きかただった。多計代は多計代らしく考えまわして、泰造はたよりにならないと思い、これだけはわたしひとりで、と思いこんだことがあったのだろう。素子からの手紙で、思いがけないことをはじめて知った伸子は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で母親をそんな度はずれに行動させたひそかな動機は何なのだったのだろうと、考えこまずにいられないのだった。
 伸子はくりかえしてはじめから素子の手紙へ目をとおした。つや子にことづけてやったお土産袋を、素子はうけとっているのだろうか。半ペラの原稿紙五枚に、こまかくつまっている素子の手紙のどの行にも、伸子が自分で縫って金色のリボンでくちをしめたお土産ぶくろについては書かれていなかった。

        七

 四、五日たった日の午前も、もうおそい時間のことだった。日仏銀行の表口から伸子が蜂谷良作とつれだって人通りのはげしいカンボン街へ出て来た。
 伸子のハンド・バッグにはたったいま、九十九円七十五銭という小切手をフランにかえたばかりの現金がはいっている。マデレーヌの広場へ向う歩道のはずれに立って、自動車の流れをつっきろうとしているひとかたまりの男女にまじりこみながら、伸子は蜂谷良作に、
「おひるは、わたしが御馳走いたします」
と云った。
「でも、すこし風変りなの
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