閧ナ、伸子のところへ蜂谷が来ても、マダム・ラゴンデールが来ても、その応接は食堂だった。伸子が来てからベルネへ訪問客というのはなかった。

        五

 食事が終りに近づくにつれて、ベルネ一家のものが知りたがっていること、とくに、クラマールでは一流の洗濯工場の経営主であるアルベール・ベルネの知りたがっているのは、ウォール街の恐慌がフランス経済にどう影響するだろうかという点であることが、伸子にもわかって来た。
 ジャックの家出をとめてベルネ一家に信用を得ている蜂谷良作は、ウォール街恐慌の問題では、明らかに教授[#「教授」に傍点]として、その言葉を家内一同から期待されているのだった。
 その晩のベルネ家のテーブルのまわりは興味ある光景だった。節だって赤い四角い手をしたベルネのおばあさんは、その手の指を組みあわせて祈祷台へ置いているようにテーブルの上におき、灰色がかって碧《あお》い瞳を蜂谷良作の上にすえている。そのとなりで、ジャックは、十九歳の長い脛をもてあつかうようにいくらかずりこけて椅子にかけ、うつむいて、ポケットに入れていない方の片手の指さきでパン屑をこねている。
 憂鬱そうな顔をして、ときどき細い指で捲毛をいじっているフランシーヌ。むしろ骨太にがっちりとした大柄の体格を、刺繍飾りのある平凡なサージのワンピースにつつんで、姿勢正しく主婦の座について、はげしい関心をかくしているマダム・ベルネ。主人のアルベールは、故郷のルーマニアから兵隊になってフランスへ来ているうちに、どうしたことからか、この細君と結婚するようになった。それというのも、と、アルベール自身が伸子に話してきかせたところによると、いまこそ短く苅りこまれて見事なつやも消えてしまっているけれども、アルベールの金色の髭と云えば、その絹のような美しさで近隣の娘たちを魅惑したものだったからだそうだ。そしてその話も半分は本当らしかった。クラマールで庭のある石造りの家をもち、工場ももっている一家の基礎が、赤くて四角い手をもった母親とその娘である細君につながるものであり、ムシュウ・ベルネは主人であって、同時に、一家の稼業は手の赤いおばあさんと骨太で実際的な細君との注意ぶかい目の下に運ばれているわけなのだった。フランシーヌが洗濯工場ときりはなして育てられているそのことにも、おばあさんと母親との計画がある。
 アメリカの市場ではこの数年来、投機によって証券の価格がつりあげられ、最近の一年半だけでさえ平均一倍半にあがった。配当もスティール株などは二割五分以上であったからアメリカ全土のいくらかでも貯蓄をもてるようになったすべての人々は、誰も彼も、投資熱にまきこまれた。これは当然危険を意味する現象だったけれども合衆国銀行の頭取ミッチェルその他財界の大立物たちは、株の高いのは将来もっと利潤が多くなるという確かな期待に立ってのことであるし、配当も将来もっと多くなると期待される、と云いつづけた。アメリカじゅうの「素人《しろうと》筋」は完全にそれにだまされたのだった。
「事実を冷静に観察する専門家の中には、市場は、人工的に押し上げられて来た自身の重さで潰れるだろうと、警告していた者もあります。すでに九月に恐慌の波頭が見えたときに」
「一度も二割五分の配当なんかにあずかったことのないフランス人は、アメリカの恐慌のおつき合いを欲していません。少くとも、わたしはそうだね」
 ベルネのその言葉は、彼と蜂谷との会話に注意を集めている家族に対して、主人としてやや特殊な立場にある彼の見識を示すために云われたように伸子は感じた。
「フランスは、フランの切下げ以来ヨーロッパのどこよりも経済事情が安定している。いますぐ恐慌でかき乱されることはないでしょう。しかし、こんどの大規模なアメリカの恐慌が世界経済に影響しないということは、絶対にあり得ない」
「――絶対に?」
 正しい姿勢で椅子にかけたまま、細君がテーブルのむこうの端から訊きかえした。
「フランスに対する影響は、ゆるやかに、或は一番最後にあらわれるかもしれない。だが、さけるということは出来ますまい」
「ふむ。天然痘だってね、最後にかかった奴のあばた[#「あばた」に傍点]はいつも深くのこるもんなんだ」
「ほんとうにみんな戦争ですよ。戦争ってものは、一つだっていいことはのこさないもんですさ」
 おばあさんは、肩にかけている薄い毛糸の肩かけを、一層赤くなったように見える両手で胸の前へひっぱりつけながら、ためいきした。
「ご覧なさい。戦争で儲けたのはアメリカでしたよ。景気《ブーム》! 景気《ブーム》!」
 ベルネのおばあさんは、がんこ[#「がんこ」に傍点]ものらしく、ブーム、ブーム、と口をとがらせて蒸気が噴くように云った。
「あげくに、こんどは恐慌《パニク》! それ
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