ニかって奴、案外正直ものなんだな。人をうち殺させる男が、白ペンキの輪には閉口なのかしら」
「なんべんもやったあげくのことさね、もちろん。彼は遂に労働者地区ノイケルンには、白ペンキが払底していないという事実を発見せざるを得なかったのさ」
 伸子たちは、声をそろえて短く笑った。
「ドイツの労働階級も、社会民主党の正体をしんからつかまないうちは泥沼だと思うな。どんどん産業合理化で失業させる。何十万人というロック・アウトをやる。赤色前衛隊《ロート・フロント》や反ファッショ組織のアンティ・ファを禁止する。労働者はその一つ一つのできごとに対しては、誰しも反撥しているんだ。だからこそことしのメーデーだって、うちに臥ている奴はなかったんだけれども、それでも、ドイツの社会民主党が、もうすっかりファシストの飼いものになってしまってることまでは信じきれないんだな。社会ファシストの罪悪っていうのは、|K《カー》・|P《ペー》(共産党)の云いぐさだと思っている連中が、まだある。そして、漠然と、何か自分でもわからないものを期待しているんだ。おかげで、だまされつづけだ」
 暫く広場にいてから、伸子、素子、川瀬勇の三人は、カール・リープクネヒト館の地階の書店にはいって行った。共産党本部への入口は、どこか別のところにあるらしくて、広場に向った地階は、単純に開放されて、書店になっている。格別人目をひくようなショウ・ウィンドウもなく、書物を並べた陳列台と、壁のぐるりに書棚をめぐらしあっさりした感じのその店で事務をとっているのは、白いブラウスに黒いスカートをつけた五十がらみの、物静かな婦人だった。
 川瀬に教えられた伸子はグロスの諷刺画集一冊、ケーテ・コルヴィッツの二冊の画集、フランスの諷刺的な版画家マズレールの二つの絵物語を陳列されている書籍の中から選びだした。クララ・ツェトキンのレーニン伝の英訳があって、それもとった。その間にも、伸子の気持にはほかならぬK・P・Dの売店で本を買っているのだという亢奮があった。伸子にとっては、このベルリンのカール・リープクネヒト館こそ、生れてはじめて目撃した共産党の本部だった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にいる間、伸子はたびたび|K《カー》・|P《ペー》・|D《デー》(ドイツ共産党)という名をきき、字を見た。|В《ウェー》・|К《カー》・|П《ペー》(|
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