オて、いやだった。天才! 伸子がそのひとことでおぞけをふるうには、深いわけがあった。その前後にはじめて小説を発表するまわりあわせになった十八歳の伸子は、天才という人の心をそそるような、同時にマンネリズムによごされた言葉の裏に最も辛辣冷酷なものを感じていた。それをまったく感じようとしていない母の多計代の人生への態度との間に、伸子の一生にとって決定的なものとなったとけ合うことのできないへだたりを感じはじめているときだった。川辺みさ子がまだ弾くことのできない閉されたピアノのよこの薄暗いベッドで、伸子の手をにぎり、ほとんどききわけにくいまでに乱された舌で、未来の自分の音楽における成功と天才についてとめどなく話すのをきいていることは、伸子にとって苛責だった。
 伸子は、川辺みさ子のところからほんとに逃げて、うちへ帰って来た。そして、自分の小部屋にひっこんで長いこと姿をあらわさなかった。川辺みさ子は、怪我《けが》によってどうかなってしまった。それを否定するどんな徴候も彼女に会っていた間の印象の中から見出せなくて伸子は人生の恐ろしさに身じろぎできないようだった。川辺みさ子に対する無限の気の毒さ、哀れさには、いつか伸子自身が自分の運命をそうはさせまいとしている本能的な抵抗がこめられていたのだった。
 川辺みさ子がまだ療養生活をしていたころのあるときのことだった。近所にすんでいる伸子のところへ迎えの使いが来た。川辺みさ子は、文学の仕事をはじめた伸子に、音楽と関係のある作品を教えてくれというのだった。伸子は、立派な文学作品で音楽に関係のないというものがあるだろうかと思った。そのどちらもが、人生にかかわっているとき。――伸子は「ジャン・クリストフ」と「クロイチェル・ソナータ」をあげた。それから「ジャン・クリストフ」の作者ロマン・ローランによる「ベートーヴェン」とを。その日、川辺みさ子は、何が動機だったのか日本の音楽家の思想の貧しさをしきりに伸子に話した。
 更に月日がすぎて再び川辺みさ子がピアノの前に立ち、弟子たちの練習に立ち合うようになったとき、伸子は心ひそかにおそれていたことを噂としてきくようになった。川辺みさ子は、あの怪我から少し誇大妄想のようになったというのだった。伸子は子供のころからのおなじみなのだから、何とか注意してあげたら、と云う人もあった。でも伸子に何と云えたろう。伸子は
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