オて、東から西からの音楽交驩に立ち会う機会の多い夫人は、話している対手の伸子が社交界に関係をもっていず、また音楽家でもないことに、くつろぎを感じるようだった。
「こちらにこうしておりますとね、ウィーンへ音楽の勉強にいらっしゃる日本の方々の御評判のいいことも嬉しゅうございますが、ジンバリストのような偉い方が日本へいらして、お帰りになると、きっと、日本の聴衆は静粛で、まじめでいいとほめて下さるときぐらい、うれしいことはございませんよ。そのときは、ほんとに肩身のひろい思いをいたします」
アメリカへ演奏旅行したウィーンの音楽家たちは、アメリカの聴衆は入場券を買って入った以上その分だけ自分たちが楽しませられることを要求している、と云う印象をうけて来るそうだ。まじめ一方な日本の聴衆にさえ好感をもつ人々が、もしロシアのしんから音楽ずきに生れついている聴衆の前で、刻々の共感につつまれながら演奏したら、どんなに活々した歓びがあるだろう。思えばおかしいことだった。ソヴェトへはヨーロッパの音楽家の誰も演奏旅行に行かなかった。ふたをあけるともう鳴り出すオールゴールのように音楽の可能にみちみちているロシアは、避けられている。それは、外国の政府が音楽家がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ行くのをのぞんでいないためなのだろうか。
伸子からそういう質問をうけた公使夫人、どこやらのみ下しにくいものを口の中に入れたような表情をしたまま、
「さあ――。どういうものでございましょうねえ」
すらりと手ごたえのない返事をしたきり、その質問を流しやった。ウィーンでは、そして、この客間では、そういう風に話をもってゆかないならわしである、ということが伸子にさとれるようなそらしかたで。
伸子たちが、社交と音楽のシーズンがすぎてからウィーンへ来たことは、伸子たちのためにもむしろよかった。冬のシーズン中には、その日の午後新緑の光りにつつまれ静寂のうちに小鳥の囀りさえきこえている公使館の客間にも、幾度か公式に非公式に、華々しい客たちが集められるらしかった。シーズンはずれの旅行者であるために、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]から来た社交になじまない伸子と素子にも、公使夫人として気をらくに対せていることを、伸子は感じるのだった。
数年前、ウィーンで自殺した日本のピアニスト川辺みさ子の、自殺する
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