スオーケストラとはくらべられない熟練をもち、音楽の音楽らしさをたたえていた。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の音楽学校で演奏者たちが舞台の上に円くなって、第一ヴァイオリンが指揮の役もかねて演奏するフェル・シン・ファンスのモツァルトをききながら、伸子は、はじめてモツァルトの音楽の精神にふれることができたように感じた。フェル・シン・ファンスの演奏するモツァルトは、ただおのずから華麗な十八世紀の才能が流露しているばかりではなかった。そこには、意識して醜さとたたかいながら美を追求しそれを創り出そうとしている意志と理性とがあり、人生が感じられた。伸子は、モツァルトを自分のこころの世界のなかに同感した。
 その演奏会があったのは一九二八年の雪のつもった日曜の午後だった。雪道をきしませてホテルへかえって来ながら伸子は最後に上野できいて来たベートーヴェンの第九シムフォニーの演奏を思いおこし、それが、どんなに不手際な幼稚なものだったかを理解した。同時に、あのとき、裾模様を着て第一ヴァイオリンの席につきながら束髪の頭を、あんなにうれしそうにこっくり、こっくりした伊藤香女史の特徴のある平顔を思い出し、一つの息を吸うほどの間、早く鳴り出した彼女のヴァイオリンの音を思いおこした。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来てみると、それらはすべて途方もないことだったのが、伸子にもわかるのだった。しかしまた、ヨーロッパの輝やかしく技術の練達した、社交性に磨きぬかれた音楽の世界に馴れたジンバリストにとってそういう真心にあふれ鄙《ひな》びた日本音楽家とその愛好家たちの表情は、素朴に感動的だったにちがいないこともわかった。有名なピアニストやセロイストがそのころ幾人か日本へ演奏旅行に来たがその人たちは、来て、演奏して聴衆の質がよいことをほめて、帰った。日本におけるヨーロッパ音楽の発達そのものに深い関心を示したのはジンバリストだった。そのことを、いわゆる通な人々は、ジンバリストが、エルマンやハイフェッツのような世界的に第一流の演奏家でなくて、むしろ教育者風の人だから、とそのことにどこか二流というニュアンスをこめて云ってもいた。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来てみれば、音楽にしろ演劇にしろその専門の教育は名誉をもって考えられつとめられている。
 ウィーンにいる日本公使夫人と
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