vいがけない角度からちらりと店さきの鏡やショウ・ウィンドウのガラスに映る伸子のなり[#「なり」に傍点]はウィーンごのみの、渋くて女らしい薄毛織格子の揃いの服と春外套になった。素子のスーツも春らしく柔かなライラックめいた色合いだった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の生活の習慣で、夜の服がいるなどと思いそめなかった伸子と素子とは、一組二組新調した服装にたんのう[#「たんのう」に傍点]して、きのうもきょうも一つなりなのを気にもせず黒川隆三と郊外のシェーンブルンを見物に行ったり、公使夫妻の自動車にのせられて市外にある中央墓地《ツェントル・フリードホーフ》で、ヨーロッパの音楽史さながらの歴代音楽家の墓地を見たりした。
 そのおとなしい公使夫妻は、ヨーロッパの中でも国際政治の面でうるさいことの比較的すくないウィーンのような都会に駐在していることを満足に感じている風だった。公使館が植物園ととなり合わせだった。公使館の庭をかこむ五月の新緑の色が寂《さ》びた石の塀をこして一層こまやかに深く隣りの植物園の緑につづき溶けこんでいる。ドイツのグラフ・ツェペリン号が世界一周飛行へ出ようとしているときだった。もう若くない公使夫人は洋装をした日本婦人の一種の姿で客間の長椅子にかけながら、
「丁度この窓からよく見えましてね、ほんとに綺麗でございましたよ、あの大きい機体がすっかり銀色に輝やいておりましてね、まるで、空の白鳥のように」
などと、伸子に話してきかせた。公使夫人は、ウィーンが世界の音楽の都であるという点を外交官夫人としての社交生活の中心にしていて、日本へ演奏旅行に行ったジンバリストの噂が出た。最近イタリーで暫く勉強してウィーンへまわって来た若いソプラノ歌手の話もでた。大戦後はオーストリアも共和国になって、伝統的な貴族、上流人の社交界がすたれてしまったために、シーズンが終るといっしょにウィーンの有名な音楽家たちは、アメリカへ長期契約で演奏旅行をするようになった。
「そんなわけで当節はウィーンも、いいのはシーズンのうちだけでございますよ。いまごろになりますと、せっかくおいでになった方々にお聴かせするほどの演奏会もございませんでねえ」
「でも、そのおかげで日本にいてもみんながジンバリストをきけたと思えばようございますわ」
 日本へヨーロッパの演奏家たちが来るようになったのは、夫人の
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