る。暗緑色で、角のまっしかくに張った方は素子のだった。こってりしたココア色で四隅に丸みのつけてあるのが伸子用だった。
 そのカフェーも、ウィーンの目抜き通りにあるカフェーがそうであるように、通りに向って低く苅りこんだ常緑樹の生垣《いけがき》の奥に白と赤の縞の日覆いをふり出している。初夏がくれば、ウィーンの人々は、オペラの舞台にでも出て来そうなその緑の低い生垣の陰で休みもするのだろう。五月もまだ早い季節で、英語を話している婦人づれを交えた人々はみんなカフェーの室内に席をとっていた。その室の、すっきりした銀色の押しぶちで枠づけられた壁の壁紙には、うす紅の地に目のさめるような朱ひといろで、大まかに東洋風を加味した花鳥が描かれていた。大胆で、思いきってあかぬけしたその壁紙の色彩と図案は、そこにとりつけられている浮彫焼ガラスの、扇を半ば開いて透明なガラスの上に繊細な変化をつけたようなランプ・シェードと、しっくり調和していた。
 おそろしい戦争が終り、ウィーンの飢餓時代がすぎた一九一八年このかた、ロシアはソヴェトになってしまったけれども、ヨーロッパのこっちはこれまでの貴族をなくしただけでそのまま小市民風の安定と安逸に落付こうと欲している人々の感情を反映し、またその気分にアッピールしてウィーンの最新流行は、室内装飾まで、このカフェーのようにネオ・ロココだった。
 そのカフェーの一隅で、伸子は途中で買った英字新聞をひろげた。二人がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]をたったのは四月二十九日だった。五月五日のその日まで、あしかけ七日、伸子たちは新聞からひきはなされていたわけだった。何心なく新聞を開いた伸子の眼が、おどろいたまばたきとともに、第一面に吸いよせられた。「ベルリン市危機を脱す。騒擾やや下火。」という大見出があった。「暴民《モップ》はウェディング・ノイケルン地区に制圧さる」そうサブ・タイトルがつけられている。ロイター通信五月四日附だった。見出しがセンセーショナルに扱われているのにくらべると、本文は簡単だった。五月一日の暴力的なメーデー行進にひきつづいて、ベルリン全市の各所におこった亢奮と騒擾は、この二日間に漸次鎮静されつつある。現在なお一部の暴民《モップ》はノイケルン地区で彼らの抵抗をつづけている。しかし、ウンテル・デン・リンデンその他中心地の街上は、外国人の通行安
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