A下で、電話に出る方はないが鍵が来ていないっていうもんですから。――いきなりお邪魔しました」
 黒川という客の来たことが素子にとっても局面打開のきっかけだった。仕方なくきのう着た白いブラウスを着た素子と伸子とは互同士では口をきかず、しかし黒川に対してはどっちもあたりまえに応対しながら、寝室のとなりの室で朝食をすました。やがて三人でホテルを出、伸子たちは約束のある服飾店へ、黒川は次に会う日どりをきめてわかれた。黒川は、二週間近くウィーンに滞在する伸子と素子とのために、下宿《パンシオン》をさがすことをすすめ、その仕事をひきうけた。ホテルを出て、明るい街頭を行きながら、伸子はそれとなく並んで歩いている素子のブラウスに目をやった。もういく度か洗われている素子の白絹のブラウスは、きついその純白さをおだやかな象牙色にくもらしているけれども、細いピンタックでかざられた胸のあたりにも、アイロンのきいているカラーにも、よごれらしいものは一つもなかった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]から来れば、はじめてヨーロッパの都会らしいウィーンの通りを歩きながら、伸子は素子のブラウスがみっともないようには着古されていないことに安心した。同時に、ウィーンまで来たのに、まだ駒沢のころのように、或はモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ぐらしのあるときに素子がそうであったように自分に対してこじれからまる素子の感情が伸子に苦しかった。
 これからの旅の先々では片言ながらどうしても伸子の英語で用を足してゆかなければならなかった。素子が自分の言葉の通用しないもどかしさと、伸子のうかつさとに癇をたかぶらしてきっかけがありさえすれば又けさのような場面が起るのかと思うと、伸子はその鞣細工品で、自分のために気の利いた小鞄を選びながら自分たちの旅行について銷沈した気分になるのだった。

 ウィーン風にいれられたコーヒーには、ふわふわと泡だってつめたいクリームが熱く芳しいコーヒーの上にのっている。その芳しいあつさと軽くとけるクリームの舌ざわりとをあんまりかきまぜず口にふくむ美味さが、特色だった。
 そういう飲みようを知らない伸子と素子とは、クリームをすっかりかきまわしたコーヒーの茶碗を前において、とあるカフェーにかけていた。空いている椅子の上に、買って来た、暗緑色とココア色の二つの婦人用カバンがおいて
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