ト昼間いっぱい勤務し、夜はモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]大学医科のラブ・ファクに通ってきりつめた時の間でくらしているナターシャにとって、散歩ができるということ、昼間ぶらぶら歩きの時がもてるということは、そのほかにも可能ないろんなたのしさがもりこめる自由な時間、解放と休息の何より確実な証左であるわけだった。
 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]じゅうの樹という樹、建物の樋《とい》という樋が三月の雪どけ水で陽気に濡れかがやき、一日ごとに低くなる雪だまりや水たまりの上に虹が落ちているような雪どけのまばゆさは、伸子の病室にもはいって来た。春のざわめきはおなかの大きいナターシャのうれしそうな様子と調和し、伸子のもうじき退院できるという期待の明るさに調和した。
 家族の騒動や、刺戟的な多計代の激情。支離滅裂な論議ずきを思うと苦しかったが、それでもモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の満一ヵ年の後フランスが見られることや、うちの者たちに会えることは伸子にとっても負担だとばかり言うのはうそだった。伸子は或る日思い立って、日本のうちあてに三通の手紙を書いた。父母あてに、和一郎夫婦あてに、それからあしかけ三年見ないうちに十五歳の少女になっているはずの妹のつや子にあてて。荷物を最少限にすること。母は身についた和服で旅行するように、どうせ多計代はバスや電車にのることはないのだから。足袋は少し多いめに、草履は三足ぐらいもって来るように。パラパラ雨の用意をもつこと――コートなり何なり。なんと言っても和一郎と小枝に対して一番具体的に旅行の収穫を期待する感情が伸子にあった。若い建築家として和一郎がただぼんやり御漫遊[#「御漫遊」に傍点]の気分で来ないように、専門の立場から何か一つのテーマをもって見て歩く用意をするようにというのが、手紙の眼目だった。つや子へ伸子は、女学校の下級生の受けもち先生のように書いた。自分の身のまわりのことは母や小枝をたよりにしないで荷づくりもできるようにしなければいけない、と。あなたは、これまでいつも何をするんだって、誰かに手つだってもらってばかりして来たんですものね、と。
 もう一週間ばかりで伸子が退院するときまったころ、噂されていた泰造の友人の吉沢博士がジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の国際連盟の会議へ出席するためにシベリア経
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