B
一九二九年の元旦、朝の儀式が終ってからまた暫く大使館で遊んで、伸子が素子といっしょにルケアーノフの部屋へかえったのは午後五時ごろだった。
ひとやすみして、伸子はノヴォデビーチェの自分の部屋へかえろうとしているうちに、胃のあたりがさしこむように痛んで来た。
「あんまり珍しいお鮨をたべたり、麻雀で勝ったりしたバチかしら……」
冗談のように云いながら、伸子は素子のベッドにあがって、壁へもたれ指さきに力を入れて痛い胃の辺をおした。
「冷えたんだろう」
素子が、湯タンポをこしらえて来た。
「足をひやしていたんじゃなおりっこない。暫く横になっていた方がいいよ」
着たまま毛布の下へ入り、湯たんぽを足の先、胃のうしろと、かわりばんこに動かして伸子は体を暖めようとした。
「どこも寒くないのに……」
痛みはつのって、夜になると、痛いのは胃なのか、それとも体じゅうなのかわからないほどひろがり、激烈になった。伸子は、痛みにたえかねて首をふりながら絶え絶えの泣き声で、
「ねていられない」
とベッドの上におきあがった。腹の中がよじられるように痛み、それにつれて背中じゅうが板のようにこわばった。起きていても苦しく、ねていることもできなかった。伸子はうめきながら素子の手をつかまえて、それを脇腹だの苦痛でゆがんだ顔などにあてながらベッドの上で前へかがみ、うしろにそりした。
十
明るすぎる電燈の光が顔の真上からさしている。伸子は、やっときこえる声で、
「まぶしくて」
とつぶやいた。伸子の瞼の上にたたんだハンカチーフのようなものがのせられた。伸子にだけくらやみが与えられた。そのくらやみにもぐっているような伸子の耳のつい近くで絶え間なく話し声がしている。話しているのは女と男とだった。彼等はロシア語でない言葉で話している。ゴットとかゼンとかミットとか。ドイツ語なんだろうか。女は入れ歯をしている。ああいうシュッ、シュッという音は入れ歯をした人間だけが出す音だ。いつまでしゃべるんだろう。もうさっきから無限にずいぶんながくしゃべっている。しゃべりつづけているようだ。伸子は、話し声をうるさく感じながら、同時に胴全体をくるまれたあつい湿布はたしかにいい心持だと思った。しきりに口が乾いた。伸子がそれを訴えるたびに、ふくろをむいて、お獅子にしたミカンが伸子の唇にあてがわれた。ミカンの
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