gの全生活がほかの資本主義社会より少ししか信用できないものだとは決して思われていない。ここの国の人々が選んだ社会主義の実績は着々進められているのだから。農業や工業の電化は、一九二八年のメーデーから革命記念日までの六ヵ月間に、かなりのパーセント高められた。ソヴェトに対する信用は低いとしているのは、その社会主義の方法を信用しまいとしている諸外国の権力であり、ソヴェトに機械類その他をより高く売る方がのぞましい人々の利害であるし、本国にいるよりどっさりルーブルの月給がとれる出さきの役人や顧問技師の満足であるわけだった。
 ソヴェトの生活になじむにつれて、伸子は、ソヴェトに対するよその国々の偏見と、それをこけおどしに宣伝する態度にいとわしさを感じていた。いってみれば、その偏見そのものが通過の上にあらわされている換算率で、自分たちのルーブルがふえるというのは何という皮肉だろう。
 金についての素子のつましさは、働くもののつましさではない。むしろ、常にいくらかゆとりのある金を用心ぶかくねうちよくつかってゆく小市民的な習慣だ、と伸子は思った。けれども、それならば、伸子自身が素子とはちがった面で小市民的でないと云えただろうか。一度か二度ピオニェールの野営地を訪問し、クラブでピオニェールたちと会談したくらいのことで、ピオニェールのことは心得たようにあの金毛のピオニェール小僧に対した伸子は、自分の態度に甘さのあったことをかえりみずにいられなかった。ピオニェールのネクタイしか赤いきれがモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にないとでもいうように! モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ぐらい、どこへ行ったって雑作なく赤い布きれが手に入るところはありはしないのに! 悪意は辛辣でリアリスティックだと伸子は思わないわけにゆかなかった。小悪漢ピオニェール小僧の炯眼《けいがん》は、二人の日本人の女の無意識の断層にねらいをつけて図星だった。

 このことがあって間もなく、素子はパッサージ・ホテルから、筆入れ箱のように細長くて狭いルケアーノフの室に戻って来た。そして、伸子がチェホフの墓のあるノヴォデビーチェ修道院のそばの新しい建物の一室に移ることになった。
 アストージェンカからモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の郊外に向う電車にのってゆくと、その終点が有名なノヴォデビーチェだった
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