く》にさわっているように歩きまわりながら、時々畜生! と云ったりするのを思うと伸子は、実にユーモアを感じた。しかし、実際問題として、どうしたらよかったろう。伸子は素子よりももっと背が小さいから、普通の大さの浴槽でも、さかさに入って湯のカランのある方へ頭をもたせかけて、というよりも、ひっかけて、いつも入っているのに。
「――わたし溺《おぼ》れてしまう」
 二人は、到頭いちどきに入ることにした。たがいちがいにしてならば、裸の体が小さくても滑りこむ危険はふせげるのであった。気候がさむくて、その上、夜は芝居だの、夜ふかしの癖のあるモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の人たちは、午後のうちに入浴する習慣らしかった。十二月のモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]では、昼間という時間が、一日に八時間ぐらいしかなかった。しかも雪のひどく降る日には電燈をつけぱなしにしたままで。

 伸子たちは、その朝も十時ごろまでには朝の茶をすました。掃除女が室の片づけを終るのを待って、素子は窓に向ったデスクの前に、「プラウダ」と「イズヴェスチヤ」とをもって納った。伸子は、外套を出してベッドの上におき、珍しいことに衣裳タンスについた鏡に向って、褐色フェルトの小さい帽子のかぶりかたを研究していた。
 この小帽子については、伸子にとって第二の帽子物語があった。伸子が日本からかぶって来た黒い帽子は、ずっとこれよりも上等で、色どりの美しい細いリボンであしらわれていた。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へついて数日すると、伸子にはその帽子がきれいすぎることで気に入らなくなった。雪のふるモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で女のひとたちは髪の上から毛織のショールをかぶったり、鳥うち帽をかぶったりして、元気に歩いていた。普通の婦人帽をかぶっている人たちにしろ、どれもごく単純なフェルト製の小型のものだった。土地の人は土地の気候にふさわしいかぶりものをかぶっているのだった。色の美しいリボンをあしらった伸子の装飾的な帽子に雪がついて、しめりで形のはりを失ったとき、その弱々しさは不甲斐なく見えて伸子に腹立たしい気持をおこさせた。雪のモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]は、チェホフが心からそれを愛したようにきびしいけれども素晴らしい季節だのに。――
 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1
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