W・ホテルを出た。トゥウェルスカヤ通りを、猟人広場の方へおりた。
「アストージェンカへは、ストラスナーヤからも行けますよ」
「知ってるわ」
「ストラスナーヤから行きましょうよ。――いやですか?」
「わたしには遠まわりする必要がないのよ」
 ストラスナーヤ広場は、夜のモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の繁華なところとされているかわり、いろんなことのある場所としても知られていた。伸子は、ストラスナーヤをまわって行こうと云った少年の言葉を自然にきけなかった。足早に猟人広場の停留場へ行こうとして、伸子は雪のつもったごろた石の間で防寒靴をすべらせた。
「気をつけなさい!」
 ピオニェールは大人らしく叫んで伸子の腕をささえた。そして、彼が支えた方の手にもっていて、すべったとき伸子がそれをおとしそうにした茶色の小型ハンド・バッグを、
「僕がもってあげましょう」
 伸子からとって自分の脇の下にはさんだ。
 アストージェンカへ行く電車が間もなく来た。明るい車内は、劇場や集会帰りの男女で満員だった。伸子とピオニェールはやっと車掌台へわりこんだ。伸子たちのほかにも数人乗った。おされて少しずつ奥へ入りながら、伸子は、
「そのスーモチカをよこしなさい。切符を買うから」
と云った。
「僕が買ったげます――僕はパスがあるから」
 そう云いながら伸子より一歩さきに車掌台から一段高くなった電車の入口に立っていたピオニェールは、すこし爪先だったようにして、こんだ車内を見わたした。電車は次の停留場へ近づいているところだった。ちょっと外を見た伸子が、目をかえして電車の入口を見たら、ピオニェールは、そこにいなかった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の電車で車掌はいつも伸子たちののりこんだ後部にいて、日本のように車内を動きまわらない。見ればちゃんと婦人車掌は、こみながらも彼女の場所として保たれている片隅に立っている。ピオニェールは切符を買うために奥へ入る必要はないのだ。
 やられた! 伸子は瞬間にそう思った。それといっしょに伸子は黙ったまま猛烈な勢で電車の奥へ人ごみをかきわけて突進しはじめた。伸子はすり[#「すり」に傍点]という言葉を知らなかった。泥棒という言葉も思いうかばなかった。咄嗟に叫ぶ声が出なかった伸子は、ぐいぐい人をかきわけて奥へすすみ、停留場へ着く前に自分で赤ネクタイをつかま
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