ネところがあるんです。こっちは、土台、せりふがわからない見物を芸でひっぱって行く覚悟でやっているんですから」
「それは見ていてわかりますよ」
と素子が、永年芝居を見ているものらしく同感した。
「左団次だって、よっぽどまじめに力を入れてやってますよ。その意味じゃ、ちょいと日本で見られないぐらいの面白さがある」
「文字どおり水をうったようだねえ、ソヴェトの人に面白いんだろうか。こっちの見物には女形《おやま》なんてずいぶんグロテスクにうつるわけなんだろうのに、反撥がないんだね。そこへ行くと映画にはお目こぼしというところがなくってね」
「そうでしょう? お目こぼしのないのが芸術の本来だって気がするんです。ふっと妙なこころもちがするっていうのもそこなんです。舞台でいっぱいに演《や》ってますね、そんなとき、ふいと、こんなに一生懸命にやっている芸にどこまで価値があるんだって気がするんです」
 吉之助は、青年らしい語気に我からはにかむように、薄く顔をあからめた。
「たしかに歌舞伎は日本独特の演劇にはちがいないんですけれどね――忠臣蔵にしろ、自分でやりながらこの感情がきょうの私たちの感情じゃないって気がつよくするんです」
「そうだわ、わたしが鷺娘の幽艷さを説明しようとして、妙な気もちがしたのもそういうとこだわ」
 伸子が賛成した。
「どんなに力こぶを入れて見たって、鷺娘には昔の日本のシムボリズムとファンタジーがあるきりなんですもの……しかもああいう踊りの幻想は、古風なつらあかり[#「つらあかり」に傍点]の灯の下でだけ生きていたんだわ」
「――桑原、桑原」
 中館公一郎がふざけて濃い眉をつりあげながら首をちぢめた。
「吉ちゃんの云っているようなことが御大《おんたい》にきこえたら、とんだおしかりもんだろう」
 だまって笑っている吉之助に向って素子が、
「あんたがた、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来る前に一場の訓辞をうけたって、ほんとですか」
ときいた。
「左団次が一同をあつめて、ロシアへは芝居をしに行くんだっていうことを忘れるな、赤くなることは禁物だって云ったって――」
 吉之助はあっさり、
「そんなこと云わせるものもあるんですね」
と答えた。
「こんどこっちへ来るについてだって、それだけの人間をひっこぬかれるんならいくらいくらよこせって、会社側じゃ大分ごてたんだっていう
前へ 次へ
全873ページ中249ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング