トいた。歴史的な十月の夜、コサック革命軍の機銃にまもられていたスモーリヌィの正面玄関の柱列や、銃をかかえたまま無数の人々がそこを駈け上り駈け下りした正面階段には、伸子たちがのぼってゆく一九二八年の六月の或る朝、夏の爽《さわ》やかな光線と、微かに夏草のにおう微風があった。伸子たちは、スモーリヌィが見たいことと、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]では、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]・ソヴェトを訪ねたことがなかったために、そこの婦人部へ来てみたのだった。
 伸子と素子とは、その日一日だけ、スモーリヌィで過すつもりだった。都合によれば、数時間だけ。――ところが、伸子たちは、その翌日もまた次の日も、四日つづけてスモーリヌィを訪ねることになった。レーニングラード・ソヴェトでは、そのころ婦人部の仕事で農村婦人の政治指導者養成のための講習会をやっていた。レーニングラード附近の各地方ソヴェトから選ばれて来た婦人代表が五十人ばかり一クラスとなって、二週間の講習をうけていた。計らずそこへ現れた伸子と素子とは、翌日もたれる懇談会へ招かれた。懇談会へ傍聴に来ていた文化部の責任者から、その次の日、文化部を訪ねて来るように招かれた。四日目に、伸子たちは、十月革命の時期、レーニン夫妻が自分たちの室として住んでいたというスモーリヌィの、もと掃除女の部屋だった小室を見せて貰った。
 そんなことは、何ひとつヴ・オ・ク・スの紹介状には記入されていないことだった。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]では、どこでも、紹介状の当てられたその部面だけが、伸子たちの前にひらかれた。一通の紹介状は二度役に立たず、二つの部門に共通しなかった。スモーリヌィでは、伸子たちの前に開いた婦人部のドアが、次から次へと別のドアを開き、次から次へと別の人が現れ、その人々は、それぞれ自分から説明し、伸子たちに訊ね、ちょいとしたユーモアをあらわした。文化部のパシュキンが云ったように。――パシュキンは、玉蜀黍《とうもろこし》色の髪の毛をポヤポヤさせた大きい体を、窓ぎわに立っている伸子にふりむけて、こう云った。
「さあ、どう思いますか、我らの達成[#「我らの達成」に傍点]は素晴らしいでしょう、ここにこういう手紙が来ましたよ、遠い田舎の女から……」
 |我等の達成《ナーシャ・ドスティジェーニア》という言葉は、そ
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