オた。――そう思うでしょう?」
ブロンナヤの通りを出はずれて二股になったところで素子が雪の鋪道に足をとめた。
「ここまで来たんだから、ちょっと大使館へよって手紙見て行こうか」
部屋を見に行った家の裏がわぐらいのところが、丁度大使館の見当だった。マリア・グレゴーリエヴナはそのまま真直ニキーツキー門から電車にのって帰るために行った。
二人きりになって、二股通りを裏がわにまわった。伸子が口をききはじめた。
「珍しかったわねえ!」
伸子はそう云って深く息をついた。
「フランス語――どうだった?」
「――ありゃ、妾だね」
断定的に素子が云った。
「男をおかないのは、世話しているやつがやかましいからさ。あんな、うざっこい家にいられるもんか」
「あのうちにいたりしたら、日に何度娘をほめなけりゃならないかわからないわ」
素子は、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]でああいう女を囲ったりしている男の生活というものへ、より多く興味をひかれるらしかった。
「あの女の様子じゃ、男はまさか政治家じゃあるまい。所謂実業家というところだね」
「実業家って――あるの? ここに」
「トラストだのシンジケートだのってあるじゃないか」
「…………」
門の入口に門番小舎を持つ大使館は、きょうも雪のつもった大きい樹のかげに陰気な茶色の建物で立っていた。正月一日に、在留邦人の拝賀式があって、そのあと、ちょっとした接待があった。そのとき客のあつまった大応接間は、陰気な建物の外見からは想像もされない贅沢さで飾られていた。はじめこの家を建てるとき、おそらくモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の金持ちの一人だった主人は、社交シーズンである厳冬の雪の白さと橇の鈴音との、鋭いコントラストをたのしもうとしたのだろう。表玄関がすっかりエジプト式に装飾してあった。胴のふくらんだ黄土色の太い二本の柱には、朱、緑、黄などでパピラスの形象文字が絵のように描かれて居り、周囲の壁もその柱にふさわしく薄い黄土色で、浮彫の効果で二人のエジプト人が描かれていた。廊下一つをへだてた応接間はフランス風に、大食堂はイギリス好みに高い板の腰羽目をもってつくられていた。
手紙をとりに事務室の方へのぼってゆく階段は、大玄関とは別の、茶色のドアのなかにあった。事務室のそとの廊下に、郵便局の私書箱のような仕切りのついた箱棚があ
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