Aさもなければ伸子たちのような中途半端な文化人ということになっている。けれども、仮にもし女の労働者がどういう方法かでモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来たとして。
 そういう人に対してだったら、ポリニャークもケンペルも、決して伸子に対したようには行動しない、ということは伸子に直感された。働く女の人なら、彼女がどんなに、にぇ、まぐう、と柔かく発音しようと、その女の体が日本の女らしく酔った大きな男に軽々ともち上げられる小ささしかなかろうとも、ポリニャークは伸子をそうしたようにそのひとを掬いあげたりはしないだろう。その女の労働者は、たとえ日本から来た人であろうと、労働者ということでソヴェトの労働者の全体とつながっている。その女のひとを掬いあげることは、ソヴェトの女の労働者の誰か一人を掬いあげたと同様であり、そういうポリニャークの好みについてソヴェトの働く人々は同感をもっていない。労働者が仲間の女の掬い上げられたことについて黙っていないことをポリニャークは知っているのだ。ヴェラ・ケンペルにしても、ちがった事情のうちに働くポリニャークと同じ心理があるにちがいない。
 伸子は、帖面の紙がきれそうになるまで、いたずら書きのグリグリを真黒くぬりつぶした。ああいう人たちは或る意味で卑屈だ。伸子は、ポリニャークやケンペルのことを考えて、そう思った。彼等はプロレタリアにこびる心を働かせずにはいられないのだ。伸子はもとより女の労働者ではない。だが、伸子が女の労働者でない、ということは、伸子がポリニャークやケンペルに対して、ソヴェトの働く人々に対して卑屈でなければならないということではない。伸子がモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来てから、労働者階級の人たちや、その人たちのもっているいろんな組織は、伸子を無視していた。伸子の方から近づいてゆかなければ、その人たちの方から伸子を必要とはしていない。それは全く当然だ、と伸子は思った。伸子はモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の生活でどっさりあたらしい生活感覚を吸いとっているのに、伸子のなかには、ここの人にとって学ぶべき新しいものはないのだから。珍しさはあるとしても。また漠然とした親愛感はあるにしろ。――無視されている、ということと、自分を卑屈の徒党のなかにおく、ということとははっきり別なことではないだろうか。――

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