ニがあるというだけで、作家として是非会いたい人でもなかった。
「吉見さんは行かれるつもりらしいですよ、あなたが外出して居られたから、はっきりした返事はきけなかったですが――つまりあなたがどうされるか、はね」
「すみませんが、じゃ、一寸いっしょに戻って下さる?」
「いいですとも!」
伸子は、室へ入ると買いものの網袋をテーブルの上へおいたまま、外套をぬぎながら、素子に、
「ポリニャークのところへ行くんだって?」
ときいた。
「ぶこちゃんはどうする?」
こういうときいつも伸子は、行きましょう、行きましょうよと、とび立つ返事をすることが、すくなかった。
「わたしは、消極的よ」
すると内海が、そのパラリと離れてついている眉をよせるようにして、
「それじゃ困るんです。今夜は是非来て下さい」
たのむように云った。
「どうも工合がわるいんだ――下へ、アレクサンドロフが来て待ってるんですよ」
「そのことで?」
びっくりして伸子がきいた。
「そうなんです。秋山氏があんまり要領得ないもんだから、先生到頭しびれをきらしてアレクサンドロフをよこしたんでしょう」
アレクサンドロフも作家で、いつかの日本文学の夕べに出席していた。
「まあいいさ、ポリニャークのところへもいっぺん行ってみるさ」
そういう素子に向って内海は、
「じゃ、たのみます」
念を入れるように、力をいれて二度ほど手をふった。
「五時になったら下まで来て下さい。じゃ」
そして、こんどは、本当にいそいで出て行った。
「――急に云って来たって仕様がないじゃないか――丁度うちにいる日だったからいいようなものの……」
そう云うものの、素子は時間が来ると、案外面倒くさがらずよく似合う黄粉《きなこ》色のスーツに白絹のブラウスに着換えた。
「ぶこちゃん、なにきてゆくんだい」
「例のとおりよ――いけない?」
「結構さ」
鏡の前に立って、白い胸飾りのついた紺のワンピースの腕をあげ、ほそい真珠のネックレースを頸のうしろでとめている伸子を見ながら、素子は、ついこの間気に入って買った皮外套に揃いの帽子をかぶり、まだすっていたタバコを灰皿の上でもみ消した。
「さあ、出かけよう」
二階の秋山宇一のところへおりた。
「いまからだと、丁度いいでしょう」
小型のアストラハン帽を頭へのせながら秋山もすぐ立って、四人は狩人広場から、郊外へ向うバ
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