Eデ・ノール》のプラットフォームへおりる自分たちを、たよりなく感じたのだった。伸子たちはわざといそがず、一番あとから出口に向って歩いて行った。めいめいが、荷物の全部であるスーツ・ケースを一つずつ下げて。――
若い画家の磯崎恭介と妻の須美子とが、白い服を着せた子供を抱いて伸子たちを迎えに来ていた。その若い家族の光景は、伸子につよい感銘を与えた。小さい子供の白い柔かな服のふくらがりが、北停車場《ガール・デ・ノール》の煤煙のしみこんだ黒くて太い鉄柵のところで異様に真白く、花弁のように見えたばかりではなかった。小さい子供がほとんど若すぎるようにさえ見える父親の腕にだかれてステーションの出迎えに来ていることは、パリでの磯崎恭介夫妻の暮しぶりをそのままに語ることだった。同時に磯崎夫妻をそのように生活させているパリそのものの生活断面でもある。伸子は、何の躊躇の感情もなく、まだ三十にもなっていない、夫婦で絵の勉強をしている磯崎恭介夫妻のつましいみちびきによって自分たちの前にひらかれた厖大なパリの生活のわれめへふみこんだ。
磯崎夫妻がパリの倹約な生活の四年間でどこよりも知っているのはモンパルナスであり、そこに彼らの生活の熱情がかくされていた。でも、彼らは伸子たちのためにふさわしいと思えるホテルがどこにあるかしらなかった。果してどういうホテルなら、伸子や素子に適当なのか、それもわかっていなかった。素子は、少女のころから須美子を知っていた。須美子は、素子がある大学のロシア文学科にいたころの教授登坂の娘であったから。しかし、伸子は初対面だった。若くて正直な人々は、パリへ着く伸子たちのために、ともかくできるだけ少く金をつかわせるようにと思ったのだった。
伸子、素子、磯崎夫妻の一行四人は、白い服の小さい女の児を蕊《しべ》のようにかこんでモンパルナス通までタクシーで来て、エドワード六世ホテルの部屋へはいって行った。表の入口はモンパルナスの通に向っているが、ホテルの部屋部屋は、その大きい石造建物の一部分を縦に狭く区切ってわり当てられているらしく、伸子たちがのぼってゆく階段は暗かった。三階のその一室には、コバルトと黄色のほそい縞の壁紙がはられていて、どこやら古びた紙ばりの箱のなか、という感じだった。一方の窓から西日がきつくさしこんだ。
部屋のまんなかに立ってぐるりを見まわしながら、須美子がお
前へ
次へ
全873ページ中816ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング