繧ヨうすく切った塩づけ胡瓜だのイクラだのをのせて、すました。朝飯や夜食を食堂でたべれば、当然バターはとれた。しかし、文明社が伸子へ送る金をことわってよこしてから、伸子たちは、ひきしめたやりかたをしていて、正餐だけしかホテルの食堂ではとらないのだった。
 文明社が社長の立候補で損をしたという理由で金を送ってよこさなくなったことは伸子の手もとをつまらせたし、ソヴェト同盟が、ウラジボストークにある極東銀行を閉鎖したことは、東京の従弟を通じて素子がうけとる自身の金の取り扱いを複雑にした。
 伸子も素子も金につまっているのだった。伸子は、いまのモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]で、自分たちが不如意にいるのは、いいことだと思った。五ヵ年計画の壮大な図取りと、異常な努力で遂行されているその成果について、人々は「プラウダ」でよむことができ、労働者クラブのパノラマと統計で見ることが出来、すべての集会の演説できくことが出来た。化学労働者クラブに、ドニェプル発電所建設のほんとにみごと[#「みごと」に傍点]な模型がつくられていた。そのまわりを囲んで立つ男女労働者たちは、何というまじりけない感歎と、期待とほこりをもって「われらの成果」たるドニェプルの模型にスウィッチを入れ、赤・青の豆電気が、かわりがわり、大きい模型の重要地点にきらめく様に見入っていることだろう。
 うっとりするほど壮大で美しい、そしてほこりたかい五ヵ年計画を完成するために、努力の日々の中でソヴェトの人々はどんなに各自の生活を重点的に整理しているか。その現実を伸子が身に添えて理解するのは、パッサージで買えない日のあるようになったバターの問題であり、ノーソフの意気銷沈の意味であり、台所と食堂のその廊下に据えられた一台のテーブルとそこへ来た婦人――その人のいる間、なぜホテルの階下は陰気になっていたか。それから代った青年になって、カーチャの笑声をきくことができるようになったのは、何故かの問題だった。

 伸子のささやかな存在は、生活そのもので五ヵ年計画のすべての壮大さと、同時に、うけとらずにいられない日常的なこまかい現象の一つ一つを味わいかみしめて感じとっているのだった。
 ある晩、芝居から帰って来て、伸子はのどが乾いてたまらなくなった。外套をぬいだばかりで、伸子が、
「お湯をとって来る」
 空色ヤカンをとりあげた。
「も
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