ネにいそいでモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の冬から春への鋪道を歩いたことだろう。――
 ――わたしの愛の小舟は難破した――
 そのすべての意味が、伸子の心を貫いて閃くようにのみこめた。マヤコフスキーが、こんなにいつもいそぎつづけて、はげしく進むソヴェトの事業の第一列よりも猶先へ立とうと力をつくして生きたにもかかわらず――いいえ、そうではない、彼が詩人らしい正直さと情熱で自分により高い任務をさずければさずけるほど、彼の革命的抒情詩の骨格であるシムボリズムとロマンティシズムが、重荷になって――いそいでもいそいでも、あるいは、いそげばいそぐほど自分から抜け出ること、自分を追いぬくことのまどろっこしさに辛抱しきれず、マヤコフスキーは、革命への愛、民衆の建設への愛の小舟を難破させてしまった。
 マヤコフスキーは、大きい誤りをおかしたと公的に云われていて、しかも伸子はその言葉に冷酷な非難を感じなかった。今夜工芸博物館にレーニングラードから来た作家たちの「文学の夕べ」が開かれ、会場ではフェーディンが心をこめてマヤコフスキーの詩を朗読した。その詩は、エセーニンが自殺したとき、マヤコフスキーが書いた作品だった。詩は、なまなましい傷心と生の確信とが不思議な激情となってまじりあっているようだった。時代が詩人にとって苦しいものであることをマヤコフスキーはその詩の中で大胆率直に承認していた。しかし、たゆみない社会主義の前進とともにある生の力によって、何とかなってゆくものだ、とおおまかに、抽象的に――彼のすべての革命と社会主義とが華々しい火花であるにかかわらず、いつもシムボリックであったとおり――生活と詩人の任務を肯定しているのだった。フェーディンは、マヤコフスキーの告別の今夜、特にその詩を読んだ。同じ時刻に、場所をへだてて行われている作家クラブの告別式に、これらの作家や詩人たちが列席していないという事実も、伸子を考えさせた。リベディンスキーは、こっちへ来ないで、「文学の夕べ」の会場で、彼の近作であって、自然主義と心理主義がこねまわされている点からさまざまの議論をまきおこしている「英雄の誕生」について大衆質問に答えていた。
 アレクセイ・トルストイが執筆中である「ピョートル大帝」の一節を朗読しているとき、伸子と素子とはそっと席をぬけて、告別式へ来たのだった。伸子たちばかりでなく、
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