ニひきつけて感情を動かされてゆく癖がないだけだった。
 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へついた翌日、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]芸術座を見物したとき、瀬川雅夫は、幾たびカチャーロフやモスクビンが歌舞伎の名優そっくりだ、と云って賞《ほ》めただろう。伸子にとってそれは全く不可解だった。カチャーロフと羽左衛門とがどこかで同じだとしたら、わざわざモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ来て芸術座を観る何のねうちがあるだろう。
 秋山宇一が、コーカサスの美女は、日本美人そっくりだ、とほめたとき、伸子がその言葉から受けた感じは、暗く、苦しかった。エスペラントで講演するひとでさえも、女というものについては、ひっくるめて顔だちから云い出すような感覚をもっているという事実は、それにつれて、伸子に苦しく佃を思い浮ばせもすることだった。駒沢の奥の家で一時しげしげつき合いそうになった竹村の感情も思い出させた。竹村も佃も、それが男の云い分であるかのように、編みものをしているような女と生活するのは愉しい、と云った。編みものをしたりするより、もっと生きているらしく生きたがって、そのために心も身も休まらずにいる伸子にむかって。――素子にしろ日本の習俗がそういう習俗でなかったら、もっと自然に、素子としての女らしさを生かせたのに――。
「自分で、日本のしきたりに入りきれずにいるくせに、日本人病なんて――。おかしい」
と伸子は云った。
「矛盾してる」
「――ともかく、さきへ手をあげたのは、わたしがよくなかった。それはみとめますよ」
 思いがけない素直さで素子が云い出した。
「実は、幾重にも腹が立つのさ」
「なにに?」
「先ず自分に……」
 そう云って、素子は、うっすり顔を赧らめた。
「それから、ぶこに――」
「…………」
「ぶこが、どんなに軽蔑を感じているかと思ってさ――腹んなかに軽蔑をかくしているくせに、なにを優等生|面《づら》して! と思ったのさ」
「軽蔑しやしないけれど……でも、あんなこと……」
 自分の前に来て立った素子を見あげて伸子はすこしほほえみながら涙をうかべた。
「ここのひとたちの前から、まさか、かけて逃げ出さなけりゃならないような暮しかたをしようとしてやしないんだもの――」

        六

 壁紙のないうす緑色の壁に、大きな世界地図がとめてあ
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