Bその上に、彼は金モールつきの宮廷礼服の上着を一着して、ルバーシカのボタンをしめていたのだった。
「農民新聞」や「コムソモーリスカヤ・プラウダ」「モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]夕刊」などに報道される富農の隠匿物資の目録は、伸子に笑止なようなその暗い貪婪が苦しいような心持をおこさせた。それらの品目は、一九一七年から二〇年の飢饉の年に、都会の没落した上流生活者や小市民が、ひとかたまりのパンのためには、銀のサモワールからはじめてどんなにありとあらゆるかさばった品物を、農村へ向って吐き出したかを語っていた。家畜について、富農たちはずっと実際的に狡猾にふるまった。この何年間かいつも一頭の乳牛と二匹の豚しか飼っていなかった「中農」が、実は十頭ちかい牛と馬とをもっていて、それらの家畜はみんなそれぞれ遠くの村々の貧農たちに、わけてかしつけられていたというような事実も調査された。
 審査委員会は、村の情実にしばられないようなしくみで「持たない者」たちの側からの調査であった。夥《おびただ》しい量の穀物も発見されて行った。
 あらゆる農村に二度めの「十月」が進行していた。モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ではモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]地方プロレタリア作家同盟の大会がはじまっていた。未来派の詩人であったマヤコフスキーが、これまで同伴者風な詩人たちの組織としてもっていた「左翼戦線《レフ》」を発展させて「革命戦線」とし、ロシア・プロレタリア作家同盟に参加した。十七年以来「大胆な表現とほとばしる情熱の輝き」とで支持されて来ているマヤコフスキーは、この冬の演劇シーズンに「風呂」という諷刺劇をメイエルホリド劇場で上演していた。
「風呂」の演出は、いかにもメイエルホリドという才人とマヤコフスキーという才人との考案らしかった。舞台の中央に動かない円形がのこされ、そのまわりにいくつかの小型まわり舞台がつくられていた。小型まわり舞台は、その上にそれぞれの場面をのせてまわりながら、チュダコフという労働者出身の若いソヴェト・エジソンを主人公とする六幕の芝居を運んで行くのだった。小型のまわり舞台は、ある瞬間、急にグルリ、グルリと一廻転二廻転して、群集の心理激動を表現したりした。メイエルホリド劇場専属のよく訓練されている人体力学《ビオメカニズム》の一団が始終舞台の上に活躍し
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