ェになるようにしようと思うのだった。それらの要素が、伸子を蜂谷の細君とちがう一人の日本の女にしているのはほんとうであるかもしれないし、また蜂谷がフランスへ来てから知って来ているに相異ないどこかの女とも、当然、ちがう伸子であらせているだろう。そこには、微妙ないりくんだものがある。伸子が蜂谷にソヴェト同盟の切手をやる気持になったのも、彼がすき、という動機からだとばかり考えるとしたら、それは二人の間にある事実ではないのだから。――一九二九年の十月二十九日という恐慌の日がなかったら、そして、伸子が、ソヴェト同盟を中心に目ざめはじめている人類の理性のたしかさに感動することがなかったら、蜂谷は、あの一枚の水色と赤と白の切手を伸子からもらう機会はなかっただろう。そのことを、彼は理解しなければいけない。伸子はそう思うのだった。そういう機会に、そんなやりかたで感動をつたえるのが伸子のたちだということは、もう一つ別の事実にちがいないけれども。

 翌日の夕刻、おきまりの講義に来たとき、蜂谷良作は、いつもよりいくらか自分自身に対して気むずかしげな表情だった。昨夜の気分は明らかに遠ざけようとされていた。彼は幾分ぎごちなく伸子の質問に答え、ブリアンにかわって新しく組閣されたばかりのタルデュー内閣がもっている困難について説明した。フーヴァーの資本・労働協約《キャピタル・レーバア・パクト》は、現にアメリカ国内生産の矛盾と対立とを鋭く意識させる役に立っているばかりであり、フランスの資本主義は、自動車生産の部門から恐慌の影響を示しはじめている。毎土曜と日曜の夜エッフェル塔にイルミネーションをきらめかせて、6シリンダー・6・6・シトロエン・6とせわしく広告しているシトロエン自動車会社、エッフェル塔の上に火事のまねを描き出しその火の上へ滝のように水が落ちかかる仕掛けイルミネーションをつかってまで人目に訴えているシトロエンはじめ、フランスの自動車会社は、フォードの価下げによる深刻な打撃をさけられない。日本生糸のアメリカ向輸出はがた落ちだが、浜口内閣は、来年一月に金解禁をするという公約を実行しようとしている。金解禁とともに浜口内閣は、日本の小企業者と労働大衆にとってはっきりと失業を意味する産業の合理化を示している。しかし同じ産業の合理化が、大資本家にとっては、国営企業を名目だけの価格で個人の大資本家たちの所
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