シ。わたしもいいわ」
門から玄関までの、小砂利をしきつめた爪先のぼりの小道をふんでゆく伸子の足音の中で、蜂谷良作の重い靴音が往来の彼方へ遠ざかった。
九
蜂谷良作は伸子と歩くことを迷惑がらなすぎる――
一日外を歩いて来て、ほこりっぽくなった顔をすっかり洗い、おかっぱの髪にブラッシュをかけ、体も拭き、さっぱりした寝間着姿になって寝床によこたわりながら、伸子は天井を見ていた。室内には電燈が明るくついていて、枕元の小テーブルの上では白い猿の前肢に、伸子が手くびからはずしてかけた腕時計がかがやいている。
「僕は無事でなんかなくていいんだ」
そう云った蜂谷良作のおしつけられた声と、そう云いながら自分のわきを歩いていた蜂谷良作の重い体の感じが、伸子の感覚に印象されている。でも、どうして彼は、伸子が柔かくこまった気持になりながら、同時にその半面で批評的にならされたほど感情的だったのだろう。
素子がパリにいた夏のころ、クラマールの終電車にのりそこなった蜂谷が、ヴォージラールのホテルで素子の部屋へ泊ったことがあった。夜なかまで三人は露台のところで話していた。何でもなく、さっぱりとあれこれのことを話していた。
伸子ひとりがロンドンからパリへ帰って来て、モンソー公園を一緒に散歩したりしたとき、蜂谷には、格別なところがなかった。伸子は、そういう彼に安心して、親しいこころもちをもった。
伸子が彼との間に求めているのは、あぶなっかしいところのない友達としての感情だった。女同士の友達で女が感じあうものとは、自然どこかちがった趣のある男の友達としての蜂谷良作を、伸子は親しく感じているのだった。クラマールへ越して来る前後から、蜂谷良作は伸子の日常生活の習慣のなかに、きまった場所を占めるようになった。伸子はそれを拒絶していない。だからと云って、伸子は蜂谷に魅せられているのではないのだった。蜂谷良作は、伸子にとって、魅力があるというたちのひとではない。きわだった魅力というようなものがなく、誰の目にも彼の人柄として映っているあたりまえの身なり、あたりまえの向学心、そのすべての彼のあたりまえさが、伸子にとっての親しさであった。
こんやは、そのあたりまえの蜂谷良作から、ちらり、ちらりと、低く揺れている焔の舌のようなものが閃いた。その焔は伸子がかきたてたのだろうか。伸子はそう
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