フ質屋が未曾有の大儲けをしていると報じられている折からだった。クラマール洗濯工場主ベルネが、十月三十日の夜、彼の商売のなりゆきについて心配したように、このレストランの帽子かけに、ずらりと山高帽をかけ並べている男たちとそのつれの女たちは、平凡な昼食をとりながら、フランスの経済と政治とを支配している十二人の大資本家たちの大釜から流し出される不安定な利潤について、議論しているのだった。
 食後のアイスクリームがすんでしばらくすると伸子は、
「出かけましょうか?」
 落ちついてタバコをくゆらしている蜂谷良作をうながした。恐慌がはじまってからのパリの目抜き通りは、どんなに変化しただろう。伸子はそれが見たかった。

        八

 シャンゼリゼーをとおってオペラへつきあたる大ブルヴァールの一つの角に、婦人靴専門店のピネがある。夏のころ、何心なく伸子が通りがかりにのぞいたら、「ピネの靴」を買っているアメリカの婦人客が、しゃれた肉桂色のカーペットがしきつめられている店内に群れていた。白い小さいカラーとカフスつきの黒い服をつけた若い女店員たちは、それぞれうけもちの婦人客の前におかれた足台に向ってひざをついて、とりかえ、ひっかえ新しい靴をためす客のあいてをしながら、忍耐づよく小間使いのように立ったり居たりしていた。
 ガラス扉を押して入り、そのピネの店内を見て、伸子は、やっぱりそこに予期した光景を見出した。女が、きばって帽子や靴を買おうとするとき独特ののぼせかたで、足台を前にして群れていたアメリカの婦人客は、ピネの店から姿を消していた。気のきいた陳列棚、柔かい緑のビロードで張られている足台。閑散な店内で行儀よい売子たちは、ふらりと入って来た伸子のベレーをかぶった身なりと、そのあとについている蜂谷良作の服装を見て、格別、彼女たちの立っている場所から近づいて来ようともしない。
「てきめん[#「てきめん」に傍点]なものねえ」
 店を出て伸子はむしろ感歎するようだった。
「ここでみごとな靴を買ってどこにも苦労の無さそうだった奥さんたち、いまごろアメリカでどうしているんでしょうね……」
 マロニエの青葉かげの濃いころ、昼飯後のブルヴァールと云えば色彩的で、パリの午後をぶらつく各国からの安逸な人々によってかもし出される雰囲気に溢れていたものだった。きょう伸子と蜂谷良作とが、観察的にあたりを
前へ 次へ
全873ページ中642ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング