Xク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]を出てから、伸子は一つの旅行記さえ書いていなかった。文明社は、伸子が臨時に送る原稿に対しては原稿料を別計算で送って来た。それは、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]にいたうちも伸子の経済をたすけて来た。パリへ一人のこって、仕事のしたくなる心持になりたい。伸子はそれをのぞんでいたのだった。
 クラマールの下宿代は、敷布類の洗濯代はむこうもち、一週に一度の入浴つきで一ヵ月一九五〇フランだった。パリの労働者が一日平均六〇フランの収入だとすれば、マダムは、伸子をおくことで、一人前の労働者がとるよりもすこし多い稼ぎをするわけだった。
 モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]まで帰る旅費をとりのけると、伸子の手許には、クラマールに二ヵ月足らずいて、その間に少しは次の収入になる書きものをする費用と、絵の本をいくらか買う金がのこるだけだった。冬のシーズンに、新らしい服を買うゆとりはなかった。
 モンソー・エ・トカヴィユ・ホテルの屋根裏部屋で、伸子はそのようなこまかい計算をした。それから、翌日、伸子は迎えに来た蜂谷良作とクラマールへ引越したのだった。
 クラマールの新しい室で、手軽な荷物の片づけが終ったとき、伸子は思わず、
「こまった!」
 頬へ手を当てて棒立ちになった。伸子は、ホテルへ白い猿をおいて来てしまったのだった。ちょっとほこりをよけて、と思って衣裳棚へ入れた。そのままおいて来てしまった。素子の親切なときの顔つきに似ているからとロンドンで買ったおもちゃの白い猿。それをホテルの戸棚へしめこんで忘れて来たことは、伸子に生きものを忘れて来たようないやな心持をおこさせた。自分につながる素子の存在までを、そのことで何だか無視してしまったようで。――
 伸子は階下の客間へおりて行った。ほう、きょうは客間があいている、珍しいんだな、と蜂谷がそこへ伸子を案内しながら云った、その客間では、十五歳になった娘のフランシーヌが、ひとりまえの若い婦人として蜂谷に応対されることをよろこんで、誰か日本人の描いた彼女の肖像画のことを話していた。洗濯工場を経営しているベルネ夫婦は、兄息子のジャックに店を手伝わせ、ましな結婚相手をさがそうとしている母親の考えで、フランシーヌだけは、パリの比較的上流の娘たちが集る女学校へ通学させられているのだった。
「こまっ
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