スくひとりぼっちのこころもちで暮していることが、たまのこういう会話で伸子に察しられるのだった。末娘のつや子が両親に愛されていないと云ってしまえば、それは、長女の伸子がちっとも愛されていないというのと同様に、真実ではなかった。けれども、何かにつけて冷酷だという多計代の非難に伸子がけっして承服していないように、つや子は、自分が多計代から石のような子だ、と云われるたびに、そうじゃあないのに、という悲しさは感じているだろう。
スタンドを消そうとするとき、つや子は、
「お姉さま、いい? あしたの朝は、このひとがコーヒーこしらえてあげる、よびに来るまで起きないで。いい?」
そう云って、ベッドの上で弾むようにねがえりをうってあちら向きになった。
九
姉と二人きりになったつや子のくつろぎかたは、ほんものだった。
おかっぱの髪の上に、指をくみ合わせた両手をのせて、短いスカートをふるようにしながら部屋から部屋へぶらぶら歩きまわったり、ヴェランダによりかかって飽きずに外を見ていたり、そうかと思うと、いきなり、
「ねえ、お姉さま、このひと、帰ったってもうあんな学校へなんか行きゃしないから!」
誓うように云ったりした。
「フランスでも姉妹《マ・スール》って、意地わる?」
こんど親たちにつれられて旅行に出るまで、つや子は東京にある三種類の尼僧女学校の一つに通っていた。その学校の在る通りが、泰造が事務所へ行く通路に当っていた。小児喘息でつや子は弱いから、自動車のついでのあるところがいいし、泰造の友人の娘たち三人もその女学校を卒業したり在学中だったりしているということで、つや子は小学校からずっとそこの女学校へ通わされていたのだった。
カソリックの尼僧学校だったから、尼僧の校長は母《マ・メール》とよばれ、これも尼僧の教師たちは姉妹《マ・スール》とよばれ、服装もきびしくて、夏でも黒い長靴下をはいていなければならなかった。あんまり暑い日、つや子はソックスをはいて行って、ひどくマ・スールに怒られ、早びけして来たことなどあった。課外のピアノ教授を申しこんでも、つや子の番はとばされて、あとからたのんだ女の子が教わるようになった。日本人のマ・スールは、ピアノがおうちにあるのなら、よその先生にならったらいいでしょう、と云うのだそうだった。級のなかで、そういう立場におかれているつや
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