三人をつみこんで橇は、トゥウェルスカヤの大通りへ向けていた馬首をゆっくり反対の方角へ向け直し、それから速歩で、家の窓々の並んだその通りを進みはじめた。いかにも鮮やかな緑色|羅紗《らしゃ》に毛皮のふちをつけた御者の丸形帽に雪は降りかかり、乗っている伸子たちの外套の襟や胸にも雪がかかる。それは風のない雪だった。橇はじき、トゥウェルスカヤの大通りと平行してモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]を縦にとおっている一本の街すじへ出た。そこは電車の通っていない商店街だった。パン屋。本屋。食料品店。何をうっているのか分らないがらんとした幾軒もの店。ショウ・ウィンドウが一面白く凍っていて花の色も見えない花屋の店。店の前のせまい歩道では防寒用に綿入れの半外套を着、フェルトの長靴をはき、ふくらんだ書類鞄をこわきにかかえた男たちが、肩や胸を雪で白くしながら足早に歩いている。茶色の毛糸のショールを頭から肩へかぶった女たちが、腕に籠をとおして、ゆっくり歩いている。向日葵《ひまわり》の種をかんで、そのからを雪の上へほき出しながら散歩のようにゆく少年がある。その街は古風で、商店は三階建てで雪の中に並び、雪の匂いと微《かす》かな馬糞のにおいがしている。伸子たちののっている橇は、国立音楽学校の鉄柵の前を通りすぎ、やがて右側のひろい段々のある建物の前へとまった。
三人で、その低い石段をのぼるとき、素子が何かのはずみで雪の上で足をすべらし、前へのめって、段々に手袋をはめた手をついた。素子はすぐ起き直った。そのまま表玄関に入った。
そこが|ВОКС《ヴオクス》の建物であった。防寒靴を下足にあずける間も伸子は深い興味をもってこの二十世紀初頭の新様式(ヌーボー)で建てられている建物を見まわした。いずれは誰かモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]の金持の私邸として建てられたものだろう。表玄関からホールを仕切る大扉の欄間がステインド・グラスで、そこにはカリフォルニア・ポピーのような柔かい花弁の花が、大きくその蔓《つる》を唐草模様にして焼きつけられている。そのステインド・グラスの曲線をうけて、見事な上質ガラスのはまった大扉の枠も、下へゆくほどふくらみをもった曲線でつくられていて、華やかなガラスの花をうける葉の連想を与えられている。すぐとっつきに表階段があった。その手すりは大理石だが、それもヌーボー
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