M心に生きようとしている自分の命ひとつのなかに、いくつの命が、綯《な》いあわされて来ただろう。死んだ弟の保の、若くて柔かい、いとしい命。佃というひとの、暗く、ぎごちなくて、しかし嘘はつかなかった命。つよい生活への欲求のなかで、死んだ人々は生きている。そのことが伸子の胸をしめつけた。彼とのことは完結したのだ。その自覚から生れた、思いがけない解放感。――佃との間にあったすべての経験は、これまでよりもっと自由に、生きてゆく伸子の生のうちにうけいれられたと感じられる。両手で顔をおおうている伸子の眼からは涙がこぼれないで、体じゅうがかすかに震えた。熱でもでる前のようにふるえている伸子をつつんで、あけはなされている窓から流れこむ夏の夜の濃い樫の葉が匂った。
二
素子がさきにモスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ帰ったことは、ロンドンでの伸子に、五年ぶりのひとり暮しをもたらした。その日々のうちに、佃が亡くなったしらせをうけた。これらの二つのことは、伸子の生活にとってどんな意味を与える新しい条件であるかということや、それが伸子の意識の底にこれまでとちがうどんな流れをおこさせているかというような点に心づかないまま、伸子はロンドン滞在を終ってパリへ帰って来た。
泰造と多計代とは、ゆっくりしたロンドン滞在がすんだら、もうこんどの旅行の中心目的は果されたこころもちらしかった。秋の時雨のふりはじめたパリへは、帰り道の順で立ちよっているという状態だった。
もうそろそろ煖炉に火のほしい季節で、ペレールのアパルトマンでの夫婦の話題は、もう一つスケジュールにのこっているジェネ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]行きのことだの、土産ものの相談などだった。
客間の長椅子で、子供らしく片方の脚を折り、片方を床にたらしたつや子が、カルタのひとり占いでもしているように、ロンドンで集めて来た船のエハガキを幾枚も並べて、ひとり遊びしている。佐々の三人は、大体十一月のはじめにパリを去る予定で、太洋丸に船室を申しこんでいた。ロンドンではつや子にも友達があり、身なりもつや子の年に似合う少女らしさでととのったけれども、大人の間で居場所のきまらないような不安定さはパリにいてもロンドンへ行っても同じだった。大きい船にのって、またひろい海へ出て、港から港へとゆるやかにうつる景色をたのしみな
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