りにくいものだった。
 伸子は、知識欲に燃えるような顔つきになって、
「あなたのお話を伺えてうれしいわ」
と云った。
「それで――?」
「いや、別に、それで、どういうような卓見があるわけじゃありませんがね」
 比田礼二は、それももちまえの一つであるらしい一種の自分を韜晦《とうかい》した口調で云った。
「――革命で社会主義そのものが完成されたなんかと思ったらとんでもないことさ――ロシアでだって、やっと社会主義への可能、その条件が獲得されたというだけなんです。しかも、その条件たるや、どうして、お手飼いの狆《ちん》ころみたいに、一旦獲得されたからって、その階級の手の上にじっと抱かれているような殊勝な奴じゃありませんからね」
 それは、伸子にもおぼろげにわかることだった。ドン・バスの事件一つをとりあげても、比田礼二のはなしの意味が実証されている。
「これだけのことを、日本語できかして下すったのは、ほんとに大したことだわ」
 伸子は、友情をあらわして、比田に礼を云った。
「わたしはここへ来て、随分いろいろ感じているんです。つよく感じてもいるの――」
 もっともっと、こういう話をきかせてほしい。口に出かかったその言葉を、伸子は、変な狎《な》れやすさとなることをおそれてこらえた。比田礼二の風采には、新聞記者という職業に珍しい内面的な味わいと、いくらかの憂鬱さが漂っていた。
「気に入ろうと入るまいと、地球六分の一の地域で、もう実験がはじまっているのが事実なんですがね」
 彼はぽつりぽつりと続けた。
「――人間て奴は、よっぽどしぶとい動物と見えますね、理窟にあっているというぐらいのことじゃ一向におどろかない」
 彼は人間の愚劣さについて忍耐しているような、皮肉に見ているような複雑な微笑を目の中に閃かした。
「見ようによっちゃ、まるで、狼ですよ。強い奴の四方八方からよってたかって噛みついちゃ、強さをためさずには置かないってわけでね」
 そのとき、人々の間をわけて、肩つきのいかつい一人の平服の男が、二人のいる壁ぎわへよって来た。
「――えらく、話がもてているじゃないか」
 その男は、断髪で紺の絹服をつけている伸子に、女を意識した長い一瞥を与えたまま、わざと伸子を無視して、比田に向って高飛車に云いかけた。
 比田はだまったまま、タバコをつけなおしたが、その煙で目を細めた顔をすこしわきへねじ
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