「る自由の伝統はドイツとはちがう。イタリー人ともちがう。はっきりそう云うんだ。一種の誇りがあるんだな。そのために、かえって、ここの共産党は社会民主主義者と自分たちの区別をはっきりしないし、右翼的になったりウルトラじみたりして、去年のフランス問題では『リュマニテ』も批判をうけたでしょう。僕に忌憚《きたん》なく云わせれば、吉見君の云った中国革命の進行についての見かただってもね、中共の側にだけたって支持することは、むしろ、我々のようなものにはやさしいと思う。――そうじゃないのかな――どっちみち、我々の時代は、資本主義社会を批判しないじゃいられなくなっているんだから。いつだって、どこの国においてだって、共産主義の理論は明晰さ。現実の理性に立って云っているんだから明瞭なわけだ。むずかしいしそれだけ興味がふかいのは、その明晰な理性が、乱麻《らんま》のような帝国主義の日々の目前の利害と延命のための権謀術数の間をぬって、どう運転され、たたかわれ、勝利を占めてゆくかという、現実のいきさつだと思うんだ。これに異議はないだろうと思うんだが……。さし当り、僕はフランス帝国主義のはらわた[#「はらわた」に傍点]にもぐりこんで、見ていてやるつもりだ。フランスの金融資本というやつはね、昔からソヴェトにだって中国にだって、見かけよりずっと深い因縁をもっているんだ」
蜂谷は、ウィーンであった黒川隆三のように、口が達者でデマゴギストかと思うような反ソ目的をもった社会民主主義論者でもないし、ベルリンの津山進治郎のように、現代のコンツェルンを、「わかれてすすみ合してうつモルトケの戦法」と云って毒ガスの研究をしている軍国主義者でもない。死んだ保のように、善いことをするためには絶対に善い方法がとられるべきだ、と、おさなくひよわな精神の力をふりしぼって絶対の正しさを求めた若者でもない。社会主義へという一つの方向へ啓蒙しようとするばかりの論議よりも、より深い複雑なところで蜂谷良作が現実を捉えようとしたがっていることは、伸子を反撥させることではなかった。伸子自身も、ものごとの、しん[#「しん」に傍点]のしん[#「しん」に傍点]から知りたがる方なのだったから。そうして知ったものこそ、つよいと信じているのだったから。
話しこんでいた蜂谷良作は、腕時計をのぞいて、
「――こんな時間なんだろうか」
素子の時計と見くら
前へ
次へ
全873ページ中537ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング