、高浜みほ子って云うんですけど……」
「マダムですか、それともマドモアゼルですか?」
「…………」
みほ子は何のことかよく分らず躊躇していたが、小腰をかがめるようにして真面目に答えた。
「あの、どっちでもいいんですけど……」
その時の自分の答えを思い出すと、みほ子は独りであはあは笑えた。受持の男は、初めびっくりしたような顔付をしたが、やがてニヤリとして、
「じゃ、マドモアゼルにしときましょう」
舌や口をいろんな風に動かして発音の練習をしなければならないのが、みほ子には、ばつがわるく、きまりがわるかった。それに、マドモアゼル・タカハマなどと尻上りな発音で呼ばれてフランス語の本を汗ばんで見つめている自分の姿と、机の中にひそめられている弁当包の生活とが次第に何だかそぐわないものに思えて来て、みほ子は三ヵ月ほどで通うのをやめてしまった。
今みほ子はもうマダムとマドモアゼルのつかいかたの区別は知っているが、先のようにきかれたら、矢張り笑って、どっちだっていいんですけれどと云いそうな気持も、働いている女の気持として、あるのであった。
みほ子はエスペラント講習の広告文を猶しばらく好意的な眼
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