きから光井の胸にだんだんひろがり高まっているのであった。それは重吉に対する心持であった。今夜も光井がよくみていると、重吉が泳ぎに例えれば二肩ばかりまわりを抜いたと思われたところがあった。重吉は自分でそれを意識しているのかいないのか、何とも云えない自然の力のこもり工合で、これ迄も折々光井にそういう心を魅するような瞬間を見せた。光井はそういう重吉から昨今自分の眼を引はなせない心持になっていて、二人で酒をのみならったりした高校時代からの友情が将に非常な信頼へ躍りこんで行きそうな予感をもっているのであった。そして、この予感は個人的な道をとおってはいるが、あついものに触れそうで、光井に激しい予期と恐怖に似た感情を味わせているものなのである。
重吉はまた別な感想をもって黙って歩いていたのであったが、
「ちょっとくって行こうか」
子供らしいように笑いのある眼差しで、支那ソバ屋の屋台の前へとまった。
三人はいかにも壮健な食慾でたべはじめた。
「ふ、すっかり曇っちゃった」
眼鏡をはずしてハンケチでそれを拭きながら、山原がすこし充血した近眼の目をよせるようにして、
「おい、あしたどうする」
二人のどっちへともつかず云った。
「俺は例の伯父貴にわたりがついたから行って見るんだ。先ずもって枢機に参画する必要があるからね」
山原には商工会議所の相当なところにいる伯父があって、将来の就職のこともかねて遠大な計画ありげに日頃から話していた。
光井がそれとは別に、
「ずっとうちかい?」
と重吉にきいた。
「夕方まで用事で出かけるが、あとはいるよ」
返事しながら、重吉はさっきポケットへ入れたばかりの銀貨の中から小銭をつまみ出して、赤や緑で花みたいな模様をかいた粗末な支那丼のわきへ置いた。
二
ガード下へかかると、電車の音も自動車の警笛の響も急にガーッと通行人の体を四方から押しつつむようにやかましくなる。黙ってそこを通抜けて真直歩いている宏子の生真面目な顔の上には、折々、何処へ行くんだろうという疑問の色が目にとまらないくらいに現れては消えた。宏子は、その疑問を一種の謹みのような心持から口に出さず、はる子が来るとおり黙ってわきを歩いているのである。
寄宿を別々に出て、省線の或る乗換駅のホームで落ち合うまで、はる子がこまかい説明を宏子に与えなかったのは先輩らしく規律
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