ていないことも、目をひく事実である。女の体で出来ない仕事の種類もあって、そのための規定もつくられているのだが、女子の適正賃銀がきめられた結果、これ迄より一層収入が減って動揺している部分があるということも、ひとくちに、金が目あての心掛けではと云いすてることも出来まい。
女の賃銀にしろ、男と全く同じ働きでさえ女だからと五銭なり十銭なりやすくしなければ気のすまない従来の習慣に対して、労務委員会あたりでは談笑のうちに、女がどっさりとるようになると永く働いていて男の邪魔になるし、婚期がおくれて人口問題にもさし障る、と至極楽天的に片づけられていることが、委員の一人である奥むめお氏が新聞に語られていた。ところが面白いことには、女は常に、勤めても永つづきしない、だから給料もあげてやれない、と叱られつづけて来ているのだ。あちらを見、そしてこちらを見たとき、日本の忍耐づよい女の顔は、どんな微笑を浮べればいいのだろう。
こういう根本のところで、現在の働く女性の悉《ことごと》くが家庭と社会的活動との間で小づきまわされている。女の電車賃、女の湯銭は日本のどこにもきめられてないのに、とるものだけにはそんなにくっきり女の賃銀とやすくきめられて在るというのは何と不思議だろう。
外で十分働いても女は家庭へかえれば男のしらない雑用があって、疲労が激しいということは周知のこととなっているが、十二時間働いて、家へかえれば眠ることしか残されていない若い娘たちが、その間でもやはり将来主婦となったとき世間一通りのたしなみが身についていなければと心を悩ましている可憐な思いを、日本の女のいじらしさとばかり鑑賞していてはむごいと思う。働く娘たちは、体と心と精一杯その青春を社会のために役立てながら、その現実に決して自信をもちきってはいない。男に働く娘を妻としたがらない気持のつよくあることを彼女たちはまざまざと知っている。どんなに給料をやすくしてくれても女の結婚難はそのことからでは解決の見とおしはないのである。
この頃は早婚が奨励されていて、竹内茂代氏の説では女の適当な年齢は十九から二十歳と示されている。そして、よい母となるために女の生理の完全を要求せよ、と云われており、毎月おなかが痛むような娘はよろしくないとされている。こんな点からも、働く若い娘たちはおそらく心ひそかな恐怖を感じているだろうと思う。本年の初め、
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