厚生省の監督課谷野せつ子氏の調査が某新聞に発表されたとき、その第一の項には、工場の働きが若い女の体を蝕むことの訴えがのせられていた。三年間ぐらいは、それまでの生活から貯えられていた健康でどうやらもつが、四年目から非常に健康をそこねやすくなることが語られていた。おなかも痛むようになって来るのだろう。高等小学を出てすぐ働いた娘さんたちにしろ丁度その頃から竹内氏の云われる結婚適齢に入る勘定となって来る。そして、事変から今年は四年目にも当る。ここにも女にとって切ない板ばさみがあらわれている。
各会社の利潤統制から、社員の足どめ策もあって内部の福利施設が行われるようになって来ているそうだが、谷野せつ子氏が熱心に求めている健康保護、災害防止の設備はどの位改善されつつあるのだろうか。関係会社十六社、社員二十五万人の日産では、「むすび会」というのをこしらえ、社員の結婚相談にのり出した。発案者の宇原重役の最初の考えでは、国策に沿うと同時に社員に安心して精励して貰うための、「会社の利益から打算しても、相当の予算を組んでやって決して損とならない一石二鳥の仕事である」と思われたのであった。然し、現実は複雑で、事に当って見ると、先ず結婚の世話に迄のり出せば勢い会社がそれらの人々の生活保障に責任をもたねばならないこととなり、手当を一人分だけですませなくなるということなどから、関係会社は一向気のりして来ないのだそうだ。「むすび会」は事実上高級社員、確かな人物という範囲でだけ動いていて、社内一般の労務者の生活のよろこびの源とはなっていないわけである。ここに、営利会社というものの本質からの撞着の姿があるし、働く男女のおかれている社会の条件のむきつけな露出もあると思う。
国家が賃銀制その他をきわめてゆくからには、働く女のための施設について、制度としてそれを各工場や経営に行わせてゆくのは決して不可能なことではない。今日の常識は、明日の日本のためにそれを極めて当然な緊急時としているのである。
社会的な働きと家庭との間で女を板ばさみにしている荒い現実は、変な心理にも歪んで表現されているのではなかろうか。たとえば、この頃ちょいちょい耳にする二人連れへの咎めだても、人気の時代的な荒っぽさにつれて女というものへの何か動物的な偏見の心理が感じられる。働く女がこんな勢で殖えているのだから、働く男女らしい傍目にも
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