働く女を様々に描いてのせる風潮だが、その内容は軍事美談や隣組物語のほかは大体やっぱり毛糸編物、つくろいもの、家庭療治の紹介などで、たとえば十一月の婦女界が、表紙に工場の遠景と婦人労働者の肖像をつけていて内容はというと編物特輯をやっている。それは、雑誌を眺めるものに何となし両方がしっくりしないままつぎ合わされている感銘をつよく与える。何だかそこに不調和なものがあることを印象づけられる。今日の女の働き、社会生活は、この印象に似た一種の矛盾、極めていりくんで解きにくい時代的な絡み合いにおかれている実際であると思う。
今日、社会的活動の可能なあらゆる年齢の女は、社会的な働きと家庭との間で、激しくひっぱられ又揉まれている。この四年間に、女は何と夥しく家庭から社会的勤労へとよび出されただろう。事変直前と去年の十一月とを比べると、婦人労働者の数は三十六万人の増加で、二百二十三万人になっている。時局産業では、男よりも女の増員率がずっと高くて、昭和十三年でさえ二年前の約倍の十万六千八百人が機械工場で働くようになって来ている。それでもまだ女の働き手は要求されていて、例えば来年女学校を卒業する娘さんは六千五百名という見込みに対して求人は一万三千という有様である。小学校を出たばかりの少年たちの力も全国的に動員された上でのことである。職業紹介所は更に最近労務資源枯渇の現状に鑑み、銃後女子勤労要員制度というのを編み出した。十四歳から四十五歳迄の女子に三ヵ月ずつ期間を区切って午前十時から午後三時迄日給六拾銭で工場の労働をさせる。もともと家庭婦人の動員を眼目にしているから托児所の施設をも条件とし、女の労働力の社会的吸収と同時に、労務管理の改善をも計るのが趣意とされている。働き先は、この場合にも軍需産業が第一位を占めている。調査に対して答えたこれらの家庭婦人たちの就職の動機は、銃後奉公、遊んでいてはもったいないという云いあらわし方が多数を占めているけれど、大部分の主婦たちが今後長くつづけて働きたいという希望をもっており、収入のつかい道は子供のための貯金、家賃米代が主であってみれば、昨今の物価高につれそこに彼女たちの労働の現実の微妙な生きた必要がうかがえると思える。
そんなに急に、多数の女が時局産業に働きはじめているのに、金属工、機械工の最高の稼ぎ高でさえも女は男より三分の一から半分の給料しかとっ
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