働く婦人の歌声
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)[#地付き]〔一九四一年二月〕
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今日いろいろの職場に働いている若い婦人たちはただ自分たちがそうやって毎日勤めに出て働いているということにだけ誇りを感じているような単純な心で社会を見てはいない。
勤勉なこれらの女性たちは、自分たちの働きに酬いられるものが自分一人を食べさせ、住ませ、着させ、人間として向上してゆくために決して十分でないことをよく知っている。友達としては積極に社会へ出て働く婦人を好んでも、妻としての女性を考えるとやっぱり職場にいるひとでない対象を念頭に浮べるような男のひと達の矛盾した感情をも、直接自分たちの人生に関係をもっていることとして、複雑に感じとられている。
日本の若い働く女性たちのことごとくが置かれている、この職場と家庭生活との板挾みの状態は極めて深刻な性質をもっている。日本の社会が近代化して来たテムポは明治このかた非常に急であるが、そのことは、一方に前時代の様々な習俗が自然に常識の中で変化されてゆくだけの時間がなかったことをも意味していて、社会の激しい動きはどんどん若い女性を社会的な職場へ招きよせているにもかかわらず、女について云われる家庭の婦人らしさの内容は、常に一番多く昔ながらの習慣しきたりを負うているのである。
近代的な社会要素と封建の要素とが最もいり組んだ関係で絡みあっているのが、日本の働く女性たちの境遇である。
これまでは一日きまった時間だけ働くと、あとはちりぢりに帰って、自分の趣味は自分だけでみたし、お稽古にも一人で通っていたようなひとたちが、この頃は集団的に自分たちの教養や趣味を培ってゆく方法をとっていることは、はやりと云って過ぎてしまえない意義をもっていると思う。
一緒にそういう稽古事もすることで、生活の一層多様な面が互に働いている女性としての共通な感情で結ばれて、日本の女性につきものであった因循さも失われ、初歩的な下手なところから明るく臆せず皆でたのしむという気分がゆたかにされる。稽古事やスポーツは、上達だけが目的ではなくて、それを愉しくやっているというそのことのなかに本当の愉しさが在るのだという、生活を立体的にたのしむ術も、身につけられようとしている。
勤勉な日本の女性たち
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