ばり次第で、全くの部屋着の感じにもなるし、落付いて地味な上っぱりともなるのだから。この間、私の伝授で或る若いひとが、近頃よくある紫のしぼりでそれをこしらえて着ているのを見た。とも切れの幅ひろく短い紐をちょんと横に結んだところもなかなか愛らしくて、びらしゃらもしないのである。
日本の着物の感覚で、色彩的ということがもっとこまやかな味いで感じられるようにならなければうそと思う。
近頃のけばけばしさ、というと普通にはすぐ懐古風に配色だの縞だのが思い浮べられているけれども、そういう逆もどりも実際には不可能だと思う。
しぶい色、縞は、昔の日本の室内で近い目の前で見られるにふさわしいのだが、今日の東京の建築物では室内のスケールも変って来ていてその質量感にふさわしいようにという関心が、様々な色のこみすぎた盛り合わせとして現れて、却って色彩的でなくなってしまっている。二色或は三色きりの調和にある実にすがすがしい色彩感。単純な統一の一点に利いている小物の濃いゆたかな色彩、というような整理は、案外されていない。若い人は、雑多な色の間に自分の皮膚の若々しささえもみくしゃにされている。
日本の若い女の
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