な物体を徹して、霊魂が漂い行くのを感じずにはいないだろう。それも、春始めの、人間らしく、或は地上のものらしく、憧憬や顫える呼吸をもった游衍《ゆうえん》ではない。心が、深くセレーンな空気の裡に溶け入りて一体となり、それ自体透明な輝きとなってしまう。自分の欲求や野心から発する息苦しい熱ではなくて、それ等を極みない白銀の雰囲気の裡に、たとい瞬間なりとも消滅させる静謐な光輝である。秋とともに在って、私は無私を感ずる。人と人との煩瑣な関係に於ても、彼我を越えた心と心との有様を眺める。心が宇宙を浸す。深い、広大な、叡智に達する程のポイズを味い得ることは稀でない。故に、古人は「ものゝあはれ」と、いう言葉を、秋に感じたのではないか。
ポイズということから連想が延びる。――
先日、私は或る本で次のようなことを読んだ。
「時々朝起きると気分がせいせいして頭がはっきりすることがある。で、筆を執ると面白く筆が運ぶ。翌日それを読んで見る。なるほどよく出来てはいるが肝腎なものが欠けているので皆抹殺してしまう。イメージネーションがない。才がない。その或るもの[#「或るもの」に傍点]がない、それなくては折角の智
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