各自の美しい存在、沈黙の裡の発育、個性というものを見る者の心に訴える。芽ぐむ青桐の梢を見あげ、私は、独特の愛らしさ、素朴、延びようとする熱意を感じずにはいられない。沈丁花の、お赤飯のような蕾を見ても同じ、彼女の[#「彼女の」に傍点]暖み、気息を感じる。個々の存在に即し、しっかりと地に繋がり、自分も我身体の重み、熱、希望を感じて、始めて、春は私共の生活に入って来るように思う。春の麗らかな日、眼を放てば、私共は先ず、一々に異う木の芽の姿、一々に違う家々の眺めに、興味深く心を牽かれずにはいられないのである。
 けれども、今私は、葉脈の太くなり落葉し始めた同じ桐の梢を仰ぎ、何を第一に感じるだろう。
 空気だ。遮ぎるものなく、拘泥《こだ》わるものなく、澄み輝く空気を感じる。
 勿論、神経は、そこに未だ沢山の葉が房々と空を画《くぎ》っていることも、幹は太く、暗緑色に眼路に聳えていることも、視ている。然し、心は、その物質を越えて普遍な空気の魅力を直覚する。私は流れる気流とともにある。春のように、個々の樹の根から萌え出るものでないことを思い知らされ、直感する。心を鎮め、自然を凝視すると、あらゆる不透明
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング