も何等の価値もないという、その或るもの[#「或るもの」に傍点]がない。ところで寝足りないために神経がぼんやりしているというような日は想像に富んだ文が書ける、イメージネーションは殆ど無限に働く。しかし、読んで見るとやはり駄目である。書いたことが馬鹿気ている。美はある。が、智が足りない。智と想像とが均衡を保つ時において始めて善く書けるものである。二者何れかが勝った時は駄目だ。棄ててしまって再び書き直さねばならぬ。」
これは、トルストイが、水浴場へ行く道々子のイリアに話したという創作上の気分に就ての言葉である。
けれどもこんな内省は、たといト翁ほど偉大ではなく性格の点で全然異った型に属する者でも、創作のことに携るものとなれば、大なり小なり、幾度ずつか経験していることではないだろうか。
芸術家の個性により、微妙な色と角度との差異はあっても等しく内に、何等かの調和律を持たないものは無かろう。真心を以て芸術に参するものは、自己に許された範囲に於て、最大・最高の諧調を見出したいという祈願を、片時も捨てかねるものと思う。然し、仕事に面して、どんなことを仕ようが自分以上にはなれない。自分の内に在る
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