ついてのより強くはっきりした自覚へ、という意味しかあり得ないと思います。そしてこの意味でなら工場に働く人々、農村に働く人々に向っても、人民の中へということはいわれます。何故なら、私たちの生活感情にしみついている半封建的なブルジョア文化と文学の影響は実に深くて、通俗性・卑俗性と人民的な意味での大衆性とは何時もこんぐらがりがちです。さもなければ、どうして組織された労働者が、組合図書には民主的出版物を買い入れるけれども、自分の小遣でこっそり個人的にロマンスだの何だのというものを買ってよむというようなことが起るでしょう。
よい文学上の仕事をしたいというひとすじの真剣な欲求を具体的につきつめてゆくだけで、わたしたちはいや応なしに人民の経済・政治闘争そのものに入らざるを得ないのです。
文化といい文学というとき、人民生活の民主的な基礎が確立されていず、中野さんが前の報告で云ったように絶えず愚民政策が行われている日本では、とかく人民生活の表現としての文学より、過去のブルジョア文学の観念のように何か実生活から離れたものとして、趣味とか、せめてそこには美くしいものを求めたい気分で扱われる危険がつきまと
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