入りに計算します。民主主義出版物は、その一つ一つの成果を或る場合には誇張してわたしたちに知らせる場合さえあります。そのようないわば勘定高い民主主義者が、文化・文学の領域の問題となるとどうして全線的な観点から計量しようとする熱心をそこなわれるのでしょうか。ここに一人の民主主義作家があって、現にその作品は数万、十数万という広い人々の間に読まれている時、そして一方にはその位の読者は何の苦もなくさらっているエロティックな又は虚無的なブルジョア文学が存在する時、もし民主主義文学運動が自分の陣営の作家の影響を過小評価することがあれば、それは真面目に考えられなければならない問題だと思います。民主主義文学における指導ということは、あの小説を読め、これこれの小説を書け、そして社会についてこう考えろとケイをひいた紙をあてがうことではないと思います。ある民主的な立場で書かれた作品を、多くの人がいきなり自分の生活で読みとってそこから何かを得てきている。しかしその感銘は、ばらばらであったり、不確かであったり、個人的であったりする場合、そこへ民主的文学のみちびきがのびてきて、読者の千差万別の日々に読みとられた文学
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