民的悲惨のどんな特等席であり得たでしょう。いわゆる人民が上官から憲兵から特高からその肉体の上にくらったビンタとちがったビンタが、文学者のために用意されていたでしょうか。どんなちがった監獄に作家が入れられたというのでしょう。
 谷川徹三の「文化平衡論」という主張が戦争拡大する前後の時期に書かれました。この主張は表面では過去の文学と文化の特権的性格を批判したものであったけれども、本質では文化・文学の理性、批判性、自立性を彼等のいわゆる素朴なる大衆の低度に解消してしまう方法でした。正月元日に明治神宮の参道をみたす大衆の中に、インテリゲンチャは何人まざっていたかと当時の知識人を叱責した彼のその情報局的見地に立ったものでした。
 日本の降伏後、言論の自由、思想と良心と行動の自由があるようになったはずです。でもその現実は職場の人が日常の中によく知らされています。その全く同じものを民主主義文学者は、自分の職場において知っています。紙のないこと、割当が商業主義、事大主義に支配されている上に、この頃は民主的出版物への割当削減があらわれていること。相も変らず紙屑のようなエログロ出版が横行していること、文学者に対する税がお話にならない高率で、殆ど収入の八五パーセントもとられること、その上政府は文化財である故人の著作権に対して勝手な収入予想をして税をかけようとしていること、それらはただ文学者の問題だといえるでしょうか。文化・文学が人民の社会生活の共有財であり、その創造は一つの文化生産部面であるというしっかりした認識こそ、人民の民主生活の実際の足がかり、ファクターではないでしょうか。文化を人民の当然の共有財と理解してその民主的効用を求めないなら、いますべての男女学生が働きながら学べる教育のシステムを要求していろいろ骨を折っている意味もはっきりしなくなってしまいます。
 インフレーションは勤労者の生活をおしつけていると同じように、民主主義文学における活動家、作家の生活をおしつけ、文学の発展を妨げています。一家を背負った民主主義作家が、生活のために自身の発展と生長のためにはむしろよくないほど原稿を書いてゆかねばならない場合は、至るところにあると思います。「暗い絵」の作者が、この二年ばかりどうしてあんなにどうどうめぐりをしていなければならなかったでしょう。「暗い絵」に示された課題の発展よりもむしろ
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