なったりしています。これらは日本の中において旧勢力と抱き合っているばかりでなく、世界のファシズム的傾向に内応する要素で民主化にとって害悪のあるものです。
日本がこういう状態だということは、世界のどの国にもまして民主化と民族の自立のための努力が求められているということにほかなりません。この三年間の成行をみて、日本の民主化と人民的な自立が、どんなにはぐらかされごま化されてきているかということについて腹立たしく思わない人があるでしょうか。石の上にも三年という諺がある。吉田茂はこの諺を満足をもって味わっているだろうと思います。一九四五年の暮頃、彼を先頭とする特権者の一群は一種の茫然自失状態にありました。彼らの自信はくずれていた。ところが一九四六年の下半期になると、吉田は記者会見で日本に対する占領政策が自分もだんだん納得できるものになってきたと語った。そして今はどうでしょう。石の上にも三年待った甲斐があらわれていないでしょうか。この三年間に、どぶ水が溢れるような汚さと早さで日本の生れ変ろうとする社会を毒したあらゆる非民主的な政策と昭和電工事件その他の醜状の積み重りの上に乗って、彼は今日首相となりました。
今日午後の討論ではくりかえし新日本文学会の活動方針が人民生活と結びついたものでなければならないといわれました。人民の中へ、という表現もつかわれました。けれども私たちが生き、そしてそこから生もうとしている文学の本質を考えたとき、ロシアの十九世紀のインテリゲンチャのように人民の中へということも何だか変ではないでしょうか。私たちがとりもなおさず人民の一部分じゃあないのでしょうか。戦争中のことを考えてみればよく分ると思います。日本の文学者が残酷な軍事権力のもとに果して一般人民とちがうどんな言論の自由と文学の自立と生活の安全を保証されたでしょう。文学は文学そのものとしての存在を抹殺されたし、文学者は戦時徴用者として文学の能力を戦争宣伝に使われたことをよもや否定する人はないでしょう。このことは、洋服屋が徴用されて平和のための衣服の製作をやめ、殺されなければならない人の服を縫わされたこととどう違うでしょう。彼の使ったのはミシンであり、文学者が使わされたのはペンであるということに、悲劇はますます大きいと思います。我とわが頸をおるような仕業を強いられたということは、当時の日本のすべての人
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